「エコ替え」は甚だしい偽善エコ! その2

 「エコ替え」は甚だしい偽善エコ!の話、もう少し続ける。

 一体何km乗ったら、製造時の環境負荷を燃費改善で取り返せるのかという疑問だが、製造時における環境負荷がどれだけ発生するのか正確なデータが分からない(こういうのは企業秘密だろうし)ので、「どれだけ乗ったら新車購入費を燃費改善で取り返せるのか?」で考えてみたい。

 まず、現在1リットルで12km走る車に乗っているとする。それを、1リットルで20km走る新車価格で総額250万円のクルマに乗り換えるとする。ガソリン価格は1リットル170円と仮定する。そうすると、何キロ走ったら元が取れるかは、下の方程式で求められる。

 (170/12)x - (170/20)x = 2500000

 これを解くと、

 x = 441176

 要するに、約44万km乗らないと元は取れないわけだ。「ハイブリットだったら燃費もいいし、節約になるかもね。」なんて思って買い換えても余計に金を食うだけだ。新車価格が仮に半分の125万だったとしても、約22万km乗らないと元は取れない。

 また、ガソリン価格160円/㍑で、燃費10km/㍑のクルマから20km/㍑の新車価格200万円のクルマに乗り換えても、同様の計算で約25万km乗らないと元は取れない。

 要するに、それ未満の距離しか乗らないならば、現在のクルマにそのまま乗り続けた方がずっと安上がりだし、エコである可能性すらある。

 あと、掲示板のスレッドにこんな書き込みがあった。プリウスとフィットを比較して、どれだけ走ったらトータルコストが逆転するかのいい目安である。

226万円のプリウスの燃費平均は21km/L
120万円のフィットの燃費平均は16km/L
車両の差額106万円

10万キロ走ると、消費するガソリンとガソリン代(160円/Lで計算)は
プリウス 4762L 76万2000円
フィット 6250L 100万円

10万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+76万2000円 = 302万円
フィット120万円+100万円 = 220万円

15万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+114万3000円 = 340万円
フィット120万円+150万円 = 270万円

20万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+152万4000円 = 378万円
フィット120万円+200万円 = 320万円

プリウスは、燃費が良くても回生システム分(100万円)のモトは取れません。

 なるほどね。プリウスで元を取ろうと思ったらそれこそ30万km以上走らないといけないようだ。しかも10万km持たずに超高価な専用バッテリーを交換しなければいけないそうで、フィットと比べたら永久にコストパフォーマンスは逆転しないかもしれない。

 消費者にとって、不要不急のエコ替えなんて「エコロジーでもエコノミーでもない」ことは肝に銘じるべきだ。

 「本当のエコロジーかつエコノミーなエコ替え」は、クルマを手放して自転車に乗ること、100歩譲ってスーパーカブに乗ることだろう。

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「エコ替え」は甚だしい偽善エコ!

 色んなところでエコエコと騒いでいるが、武田邦彦氏が『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』などの著書で、様々なニセモノの環境対策を暴露したように、世間には金儲けのため消費者心理を突いてエコをでっち上げていることも随分ある。無意味に関わらず観念的に環境にやさしいと思い込んで無駄な努力をしていることも多々あるだろう。レジ袋の削減やペットボトルのリサイクルや、マイ箸運動などが代表的なものであるが、ここでそれについて解説する気はないので、詳しくは武田氏の著書をお読みください。

※追記
武田氏の著作は、3冊ほど読んだが、感想としては正直かなり怪しい部分がある。ペットボトルのリサイクルなどはともかく、温暖化が進行しても大丈夫とか海面は上昇しないとかの部分は、実は何度読んでも納得いかない。特に、京都議定書の件などはかなり恣意的に思われる。今度、著作をじっくり読んで、間違いと思われる部分をブログで紹介するつもりだ。

 そんな中、トヨタがおかしなCMを流し始めた。まだ乗れるけどもっと低燃費な自動車に買い換えようという趣旨の内容だ。

エコ替

 正直、このCMには呆れるばかりだ。というか不愉快にすらなる。トヨタなる一流企業がこんな低レベルなCM流しているなんて・・・。

 一体どこの誰が、「そうだね。まだ使えるけどね。早速エコなクルマに買い換えましょうね。」ってなるだろうか?もし、そんな人がいれば知りたいくらいだ。

 買い換えた新車がいくら燃費が改善されたからと言っても、自動車の製造時に発生する環境負荷を考えなければ本当にエコロジーかどうかは分からない。「新車製造により追加的な環境負荷が発生するが、燃費の改善によって○○km以上走行したら結果的にエコロジーになる。」ことをはっきりさせない以上、こんなCMは企業の社会的責任(CSR)に反していると思う。

 もし、ある時点で車を買い換えるかそうでないかで考えよう。分かりやすくグラフでモデル化してみる。新型車を購入した時点で一定の環境負荷が生じる。だから、購入時点では旧型車の方がエコである。しかし、乗り続けるとすると旧型車は燃費が悪いので傾きが大きいので、ある時点で累積環境負荷が逆転する。その交点の年数使用して初めて新型車が晴れて環境にとってより負荷が少なくなるのである。

Photo

 もし旧型車であっても、あまり乗らなければグラフの傾きは小さくなる、そうなると交点のx軸座標も大きくなるか、永遠に交わらない場合も考えれる。そうならば、旧型車もエコである。

 さらに言おう。低燃費の新型車だからと言って余計に乗るようになれば、今度は新型車の傾きが大きくなって、かえって環境に負荷を与える可能性も考えられる。ヘルシーな料理だからといって、多めに食べて結局太ってしまうことと同じだ。

 グラフの交点が何年目にあたるか分からないが、だからと言ってまだ使える車を無理やり買い替えさせようとするトヨタのやることは所詮偽善エコでしかない。

 あ、そうか。エコロジーのエコでなく「エコノミー」のエコか。それなら納得だ。早く買い替えてもらったほうが儲かるからね。

 ただね、現場の低燃費化を推し進めてきた努力は素晴らしい。それは、しっかりと褒めるに値すると思っている。だからと言って、それを免罪符にしてさらなる消費を煽ろうとするのはどうかしているとしか思えない。

[参考サイトなど]

TOYOTA 「エコ替え」 (公式サイト)

エコ替え (学生自動車評論家)

「エコ替え」に誰もつっこまない件 (ネコの目Blog)

乗り換える事がエコなのか?「トヨタのエコ替え」 (ライカで撮る日常)

「エコ替え?」 (今日もクルマ観?日和)

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信号なしの横断歩道は横断歩道でないのか!!

本日、頭にきたことがあったので更新休止といいながら新しい記事を書く。いつものことながらマジで今回は頭にきてしまったからこうやってわざわざ書く!グチっぽくなってスマンが。

ある国道で信号がない横断歩道を渡ろうとした時の話である。その国道は、2車線で交通量は多くひっきりなしに自動車が通る。200mほど西にいったら信号がある交差点があるのだが、それではやや遠回りになる。

あ、ちなみにその時自転車ではなく純然たる歩行者としての話。歩行者として立場だからわざわざこう記事を書いているわけ。もちろん、道交法では、歩行者に対して譲歩優先義務があるので、横断歩道の手前ではたとえ信号機がなくても車両は停止して譲らなければならない。

そこで、渡ろうとしても全然止まってくれないのである。クルマの速度はそんなに出ていないにも関わらず(40km/hほど)。誰か良心的な方が止まることを期待して待っていた。が、期待は見事に裏切られ、16台連続で止まらなかった。

で、結局はクルマの流れが切れたときに渡ったわけ。歩行者の敗北である。いつものことと言ってもなんか悔しい思いが残る・・・。

自動車の方を見て、しかもドライバーの目を見ているにもかかわらずだ。「これからオレは渡るからな!」という態度を示しても誰も止まらない・・・。私が、見えていないことはないと思う。こっちが相手の目を見て目を合わせているから。

実力行使(すなわち横断歩道を無理矢理渡り出すこと)に踏み切ろうとしながら、そこまでする勇気がないことが悔しい。たまには、やることもあるが今回は失敗した。

次回は実力行使に出てやるつもりだが。もちろん、安全には最大限配慮して。もし、文句をいうドライバーがいるなら「ここは横断歩道だろうが!!!」とどやしてやろうと思っている。それくらいのことをしないと意識は変わらんだろう。

《参考サイト》

「横断歩道に信号がないと止まれない人の言い訳」

道路交通法(抜粋)

(横断歩道等における歩行者等の優先)
第三十八条  車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない
2  車両等は、横断歩道等(当該車両等が通過する際に信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等により当該横断歩道等による歩行者等の横断が禁止されているものを除く。次項において同じ。)又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない。
3  車両等は、横断歩道等及びその手前の側端から前に三十メートル以内の道路の部分においては、第三十条第三号の規定に該当する場合のほか、その前方を進行している他の車両等(軽車両を除く。)の側方を通過してその前方に出てはならない。
   (罰則 第百十九条第一項第二号、同条第二項)

(横断歩道のない交差点における歩行者の優先)
第三十八条の二  車両等は、交差点又はその直近で横断歩道の設けられていない場所において歩行者が道路を横断しているときは、その歩行者の通行を妨げてはならない。
   (罰則 第百十九条第一項第二号の二)

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高知から持続可能な交通を実現する(26) 「自家用車から公共交通への転移をどう推し進めるか」

 地方公共交通の最大活用を進める上で避けて通れないのが、「クルマに依存しきった人々をどのようにして公共交通への転移を推し進めるか」という課題である。

 なぜ、この問題をこれまで取り上げなかったか(すでにその手法についてあちこちに散りばめては書いているが・・・・)というのは、やはり難しい問題であるからだ。「財源をどこから引っ張ってくるのか」「県民市民の合意をどう得るのか」「誰を説得して、誰がお金を出して、どう落とし込めたら実現への道が開けるのか」という問題は本当に難しい・・・・。また、道路特定財源をはじめとする道路投資偏重の国策を、鉄道などの公共交通にも転用できるように変えていかなければならない。私の提案を少しでも実現するには、大きな壁をいくつも乗り越えていかなければならないのは十分承知している。「自家用車から公共交通への転移をどう推し進めるか」も難しい大きな乗り越えるべき課題だ。自家用車からの転移を進めるには、単一の施策をバラバラに実行してもなかなか上手くいかないアメとムチを上手に使い分けいくつかの施策を組み合わせたパッケージを同時に実行する、すなわち「パッケージアプローチ」を実践していかなければならない。

 これより具体的について述べていくが、まず一つ目に重要なことは、「自家用車を手放しても不安のない状況をつくり出すこと」である。現状では、公共交通は不便で運賃が高いので自家用車がないとライフスタイルを極度に制約される。だからどうしても自動車を保有することになるわけだ。公共交通の利便性向上は当然のことであるが、それだけでは不十分で公共交通利用をサポートする仕組みやインセンティブを高める施策も同時に実行していかなければならない。

・公共交通の基礎的改善
 これが今までも述べてきたインフラの改善策である。公共交通の利便性を改善する基礎的な内容で、直通運転、増発、運行時間の拡大、スピードアップ、車両の快適化などのハード的な改善策と、路線網のネットワーク化、運賃体系の一元化などソフト的な改善を進めていく必要がある。この改善なしには、根本的なところがないがしろになり、大幅な公共交通への転移は進まないと考えられる。比較的地味で予算もかかるが、最も重要なことであるのであなどってはならない。

・環境定期券(広域利用可能な定額パス)
 広域を格安で乗り放題のパスを発行してこそ大きく転移するだろう。月々6000円ほどで、高知県中央部(例えば安芸から須崎までの広域)をすべての公共交通機関(タクシーを除く)で何回でも利用できるとなると、基礎的改善が進めば進むほど、自家用車を維持しなければならない要因を減らすことができる。また、そのパスを大いに活用しようとする心理も働くだろうから、週末に東洋町などの遠い場所にも行ってみようとする人も増え、高知県全体の活性化にもつながるであろう。これこそが大きな決め手になると思っている。

・情報提供(高知県の公共交通手引書など)
 公共交通を敬遠する要因として、時刻や路線、運賃などの仕組みがよく分からないということもある。高知から持続可能な交通を実現する(17)で述べたように、高知県の公共交通手引書を配布して、その1冊があれば難なく乗りこなせるようにし、さらに、広報活動はしっかりやるようにしたい。中途半端なものではなく、ポスターや新聞広告等でキャッチコピーを用いて啓発すべきである。小中学生などにも分かりやすく教えるようにしたらなおよい。

・駅でのレンタサイクルの提供
 公共交通が不便な要因として、駅まではいいが、降りてからそこからの足がないということもある。そのため鉄道利用が比較的便利でも、自宅から目的地までクルマ利用を強いられることになる。そこで主要駅には、個人登録されたICカードでシステム化されたレンタサイクルを提供できるようにしていくようにしたらよい。元の場所だけでなく別の場所でも返却可能にすべきだ。そうすれば利便性は大幅に向上する。導入には予算がかかるし、公共交通利用もICカード化されていなかったらICカード式は難しいだろうから、最初は、係員がいて用紙に記名する有人方式でいい。レンタサイクルが気軽に借りられるとなれば公共交通利用のハードルは随分低くなる。

・カーシェアリング
 高知から持続可能な交通を実現する(14)で述べたが、いくら公共交通が改善されてもやはりどうしても自動車が利用できないと不便という状況は、残ってしまう。だから自動車を手放すとなると非常に勇気のいることであろう。その自家用車放棄を可能にするのがカーシェアリングの普及であると考えている。特にクルマが好きという方以外にとっては、大いにメリットがあることだろう。家計の負担を和らげる点が最も大きいと思う。

 次に「自動車を使いにくくする方策」である。特に高知市の中心市街地およびその周辺では、自家用車利用はなるだけご遠慮くださいという風潮をつくり出すべきだ。

 具体的には、まず路面電車市内区間内の電車通りにおいては、片側を「バスと自転車(原付も含む)の共用レーン」にして、自家用車等の走行車線を減らすと同時に、バスの定時性・スピードアップと自転車の利便性向上を図る。また、右折制限も実行すべし。当然ながらいずれも違反者には容赦なく取り締まるべきだ。

 現状では、電車通りから直接駐車場へのアクセスも許可されているが、これがバス交通を乱す原因になっているばかりでなく、街路樹に切れ目が生じて緑の少ない潤いのない都市空間になっている。原則として市内の電車通り沿いには駐車場や車庫を設けることは禁止し駐車場規制自体もも進めていくべきだそして、中の橋通りなどは自転車レーン捻出のため一方通行にする。高知市の中心市街地および周辺はすべて最高速度30km/hにする

 ここまでやれば自動車利用は格段に不便になり特段の理由がない限り自家用車を市内に乗り入れる者は少なくなるだろう。ただし、以上の施策を実行する上では、料金面も含めて公共交通が十分使いやすいレベルに到達していなければならないことは当然である。

 また、総合的な「TDM(交通需要マネイジメント)」を実行することも提案する。これは需要に応じて供給を増やす方策ではなく、供給に応じて交通需要に介入して調整する方法である。ロードプレイシング、経路の変更、相乗りの促進、交通手段の変更、時差通勤、土地利用の調整など多岐に渡るが、とりあえずは相乗り通勤を促進したりして一人乗りマイカー通勤の削減を徹底的に取り組むようにしたいマイカー通勤削減条例でも制定して実行していってはどうだろうか?

 いろいろ書いたが、問題は郊外である。郊外の商業施設が充実している現状で、以上の施策を導入すると、脱クルマや中心市街地の活性化どころか中心市街地にとどめを刺す事態を招く可能性もある。郊外商業施設の規制や、コンパクトシティ政策も同時に実行していかないと上手くいかないであろう。

 マイカー通勤削減と駐車場設置規制に関しては、クルマ社会のアメリカでも様々な事例があり、色々とテクニカル的なことを実行している。それらを高知でどのように応用していったらよいかということも取り上げていこうと考えている。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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高知から持続可能な交通を実現する(24) 「提案の目的とするもの(簡潔にまとめると)」

 高知県知事選挙はすでに終了し、高知県知事は尾崎正直氏に決まった。これからの高知県政において私が提案することも考慮に入れてもらいたいと考えている。それをどう働きかけていくかも課題であるが、それは後ほどに詳述する予定でいる。 

 高知から持続可能な交通を実現する(23)で、「提案の目的とするもの」と題して、私の考えることは何を目的にしているのかということを述べたが、今回はそれを簡潔な言い回しでどうしたいのかを書いていく。

(1)・環境負荷を少なくし、持続可能かつ豊かな地域社会を実現する。

(2)・エコ宣言、脱原発宣言をすべき。それにふさわしい、省エネルギー社会を推進する。

(3)・県民の誰にとっても公共交通利用を日常生活の一部にする。
 (それだけ公共交通の利便性を向上させ、私的なクルマ利用を減らしていく。)

(4)・自動車の氾濫による様々な弊害を克服する。
 (交通事故を減らす。街の空気をきれいにする。駐車場の増加など土地利用の硬直化を防止する。)

(5)・高知の誇りである路面電車を、これからの都市交通システムとしてふさわしい機能性と、風情や情緒を合わせもったものに進化させる。

(6)・活気のなくなった中心市街地をよみがえらせ、高知のアイデンティティを守り育てていく。

(7)・子供の目が輝き、お年寄りも生き生きと過ごせる地域社会を実現する。

(8)・道州制導入に対応し、州都としてふさわしい高知市を実現する。

(9)・世界中の人を惹きつける魅力のある土佐の高知にしていく。
 (県下全域で観光活性化に力を入れる。)

(10)・世界平和を実現する。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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ガソリン価格高騰でやはり自転車利用は増えているのか

 前に、ガソリン価格が高騰してもそれほどクルマ利用から自転車にシフトしていないようだと書いた。

 ガソリン価格は上がっても・・・・

 しかし、さきほど検索していたら面白い記事を見つけたのだ。

 ガソリン価格高騰で衝突事故多発!? (Masquerade)

 この記事を見る限りでは、朝の通勤時間帯に目に見えて自動車が減り、随分と走りやすくなったとか。そして、自転車とバイクが目に見えて増えたと。それはそれで結構なことかもしれないが、今まで乗り慣れていなかった人たちが、自転車に乗るようになったので、ルール・マナーがいい加減で、事故が多発しているとか。確かに、普段自転車に乗ってないと、どこが危険であるか、クルマの動きにどう対応したらよいかというこうとが、なかなか分からないのは事実だ。

 私は、このガソリン高騰がクルマ依存社会を考え直すきっかけになることには歓迎するが、怖いもの知らずに無謀な状態で自転車に乗るのは歓迎しない。自動車から降りて、まだ自転車に乗り染めていない人の意識はこうだろう。

 「どうせ自転車だから適当でかまわんよ・・・・」

 だが、それがダメなのである。少しくらいなら自転車だからいいかと思うかもしれないが、全くダメだ!公道を走っている以上、しっかり義務と責任を果たさないといけない。こういう意識の自転車乗りが、歩道を爆走して歩行者を怪我させる可能性が高いのだ。最悪の場合、死に至る事故だって稀にだが発生している。

 とにかく、警察庁もだいぶ方向転換し、自転車レーンを拡充する方向のようだが、まだまだ自転車乗りのルールの悪さは変わっていない。そのでたらめなルール・マナーとは、

 ・逆走(車道を右側通行)
 ・無灯火
 ・携帯電話を走行中にいじる
 ・ウォークマン、ipod
 ・傘さし運転
 ・信号無視
 ・二人乗り
 ・並走
 ・歩道を驀進(しかも歩行者にベルを平気で鳴らすやつ多数)
 ・飲酒運転(罰則は自動車と同じ、5年以下の懲役または100万円以下の罰金)
 ・不適切な駐輪(さすがに通行の障害になるのは問題)
 ・整備不良(ブレーキがきかないのは大変危険)

などと、枚挙にいとまがない。

 いわゆる自転車ツーキニストなんかは、意識が高いのか自転車も一交通手段として模範的な乗り方をしている人が多い。一方で、先ほど上げたガソリンが高いから飲酒運転にならないよにと言うやつは概して意識が低い。どうせ”チャリンコ”だからという思想からだろう。歩道を走れるようになり、ママチャリが蔓延し、警察もそれほど指導・取り締まりしないということが重なって長い間にこのような意識が醸成されてしまった。

 自転車へシフトすることは、脱クルマ依存社会、CO2削減の観点から大いに歓迎しよう。しかし、その義務と責任は果たしてもらいたいと思う。

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高知から持続可能な交通を実現する(23) 「提案の目的とするもの」

 高知から持続可能な交通を実現するを、連載してから約1ヶ月が経過した。最初は、5記事くらいのつもりであったが、なぜか23記事まで続くハメになってしまった。それでも、まだ途中で、「自転車の活用」、「高速道路問題」、「高知市中心市街地への自動車の流入規制」などがまだだ。しかも、「公共交通の再構築」に関しても書き残している内容はかなり残っている。いったい、いつまで続くやら書いている本人も分からなくなってしまった。おそらく30記事は超えるだろうが、言いたいことはすべて吐き出すつもりでいる。

 今回は、今までの整理も兼ねて「なぜ、地方公共交通や自転車を最大活用して、クルマ依存社会から脱却を目指すのか」、その私が考えている目的を発表したい。ただ、あくまでも目標であり、それが必ずしも達成できるというものではなく、因果関係がはっきりしないものもあると思うが、その点は留意していただきたい。

[グローバルな環境問題への対応 CO2排出の大幅削減]

 アル・ゴアの『不都合な真実』に代表されるように、地球温暖化を中心に地球環境問題は、深刻化している。特に、近年の気象災害は異常であるし、かなりの氷河が融けて後退しているという報告もある。CO2の大量排出が温暖化を本当に促進しているのか議論が分かれるところだろうが、だからと言って排出し放題では非常にまずい。あとから甚大な被害を受けてもあとの祭りであり、後悔しない対策が求められる。

 程度問題ではあるが、現在のクルマ社会は、確実に環境を汚染している。京都議定書では、1990年比で、CO2排出を2012年までに8%削減することが目標になっているが、実質的に日本は達成できそうにない。それでも、高知県だけでもポリシーを持って挑戦していく価値はある。1990年より、CO2排出が大幅に増加した部門が家庭・民生部門と、運輸部門である。運輸部門の増加は、当然ながら自動車が増加したことによる。家庭・民生部門の増加もロードサイド店の増加などクルマ社会化と関連して増加した側面もあると思われる。クールビズやレジ袋の削減などと気休めにしかならないことは、きっぱりやめて本丸を攻めて実行すべきである。自動車の保有台数と走行距離を削減してこそ、大幅なCO2排出は実現できる。

[地域エネルギーの推進 エネルギー危機管理]

 これは、原発からは真っ先におさらばして、さらに化石燃料の使用も削減していくことを目標にしている。現在の社会システムでは、それらに依存せざるを得ない(自然エネルギーのみで確保できない)が、その器自体をスリム化することによって、地域内でエネルギーを確保することが可能になる。家庭レベルでは、風力や太陽光で電力をできるだけ賄い、大規模に電力を必要とする場合は適宜水力発電を、補助的に火力発電をというふうにしていく。

 その中で、最も削減すべきものが無駄な自動車利用だ。そればかりは、どうしても化石燃料に頼らざるを得ない。最近、バイオマス燃料が話題になっているようだが、あれは農地を拡大しようとして食糧生産を脅かし、森林伐採につながるとんでもないシロモノである。ただ、路線バスを動かす程度なら、バイオマス燃料も一つの選択肢に入るとは思う。いずれにせよ、個人個人が好き勝手にマイカーを乗り回している以上は、ローカルエネルギーでは対応不可能だ。不要不急の自動車利用は削減し、可能な限り公共交通や自転車に代替することが必要だ。鉄道路線の電化推進を提言しているのも、電気であれば地域でもエネルギーが産出できることによる。

 そして、エネルギー危機管理。石油の採掘量が伸びない中、中国の需要が激増している。それで、中国は石油資源を優先的に獲得するために軍事技術を産油国に提供しているほどだ。ガソリン価格も上がっている。これがもっと高騰すれば、現在のクルマ社会は破綻せざるを得ない。そもそも我々の生活が、遠い中東の石油に依存しているのは、いかに脆弱なものであるか再認識しなければならない。まさに、防災と同様に地域社会の危機管理でもある。

[中心市街地活性化 古い街々の蘇生 脱ファスト風土]

 特に90年代半ば以降は郊外に幹線道路が整備され、沿道にいわゆるロードサイドショップが林立ていった。その極めつけはイオンショッピングセンターの開業である。一方で、高知市の中心市街地は急激に空洞化が進んだ。西武とダイエーが撤退。映画館も3館すべてが閉鎖するなど、衰退著しい。しかも、大丸までも撤退が囁かれている。非常に有利な地の利を持っていた中心市街地が、ここ5年ほどで一気にさびしくなった。

 「これも時代に流れだから仕方ない」では、済まされない。にぎやかな街は、その地域のアイデンティティであり、自動車を運転できない人にとっても、観光客などその地域の住民以外にも歩ける街の方がいい。そもそも、自動車を前提とした交通体系は、エネルギーと資源の無駄だし、郊外の商業施設は、外部の大資本がほとんどであり利益のかなりの部分を流出させてしまう。しかも、人工的で画一的な空間は、非常に無機質で寒々しい。まさに、ファストフード店に代表される画一的システムの都市空間「ファスト風土」の出現である。この傾向が強くなると外部から見ると高知の魅力は消えうせてしまう。やはり、お街が賑やかで活気のあることは必要なのである。

 脱クルマ社会を進めていくならば、自ずと公共交通が重要視されるし、中心市街地に都市機能が再集積されることは当然だ。お街は公共交通と一体で機能するのである。高知から持続可能な交通を実現する(12)のように、駐車場整備で活性化はしない。公共交通を使いやすく便利にしてこそ中心市街地は甦る。これは、帯屋町や大橋通など高知市の中心市街地だけではない。後免町、野市、赤岡、夜須、安芸、伊野、佐川、須崎、中村などでも、少しはずれの幹線道路沿いに拡散した商業施設等を、昔からの市街地を再生し再集積させることも、この交通戦略の一つである。それらを有機的に結ぶのが「土佐電鉄とごめん・なはり線およびJR土讃線との直通運転」の提案だ。例えばごめん・なはり線だと高知の中心市街地と、主にごめん・なはり線の快速停車駅に発達している古い街々を一直線で乗り換え無しで相互に結ぶことができる。

[過疎対策 農山漁村の活性化 まちづくり]

 高知県全体でも、人口減少が進んでいるが、山間部などの集落は、過疎化が進んできた。限界集落とよばれる消滅の危機にある集落も数多い。だが、これらの活性化は急務である。人がすまなくなったら山林や田畑を管理する人がいなくなり、荒廃してしまう。それは、国土を守れなくなることである。昔のようにはいかないが、何らかの形で人々がそこに暮らし生活を営むことは必要である。公共交通の活性化は、農山漁村の活性化に一役買うと思っている。現在の過疎地バスは、本数も少なく自動車が運転できないお年寄り専用になっているが、例えば1時間に1本を確実に確保し、運賃体系の共通化や環境定期の導入などによって、休日の行楽や所要などで誰もが利用できるようになれば、多少ダイヤに縛られるもののマイカー以上に便利である。高知市に一極集中してしまった人口を適度に再分散させるには、公共交通の充実は必須だと考える。もっとも、東京一極集中こそ改善し、高知にも人が戻ってくるようにすべきだと思うが・・・。

[地域内の雇用促進 地域経済の活性化]

 高知から持続可能な交通を実現する(13)で書いたように、公共交通の活用は、地域での雇用を促進させる。それは、自動車関連の雇用が減少する以上の雇用促進効果がある。失業者が増え、低所得者も多い高知県にとっては魅力的なことであろう。

[高齢者対策 高齢者・障害者にも移動の自由を]

 高知県は、日本で最も高齢化が進行した都道府県である。最近はそうでもなくなったが高齢者の免許保有率は低く、また、免許があっても身体能力の低下により自動車を運転することも大変になるし、なにしろ交通事故の危険性も高まる。高齢者特有の自動車事故も新聞で取り上げられすでに社会問題となっている。また、高齢を理由に免許を返上する人も増えてきた。

 今、自動車の運転できない高齢者の方々が自動車を自由に利用できる人と比べると、まるで住む世界が違うようだ。家族などに乗せてもらわないと実質どこへも行くことができず、少ない年金では、バカ高い公共交通も頻繁に利用できない。もし、公共交通網が発達していて、それが安くて本数があれば、高齢者にとっても天国だが、現実はその逆である。現に路面電車だけは便利な交通機関であり、高齢者にすごく人気があるそうだ。

 それにも関わらず、貧弱な公共交通しかない状況は、「交通権」というか「シビルミニマム」を満たしていない。そのためにも、現在の公共交通の閉塞状況から打破して、高齢者でも障害者でも子どもでも安心して利用できる公共交通整備は求められる。誰もが行きたい場所に自由に行けるのは、充実した公共交通網こそがコスト的にも実現する。

 今、マイカーが便利だと思っている人々も、年とって困るのは自分だということを認識しなければいけない。また、マイカーを保有し使用することは、莫大な経済的負担の上で成り立っていることも再認識してもらいたいと思う。

[医療対策 健康の増進]

 クルマに依存しきったライフスタイルは、運動する機会を著しく減少させ、肥満や高血圧の原因になる。糖尿病などの原因もなっている。公共交通と自転車利用が一般的になると、適度な程度には歩いたり自転車に乗ったりすることになる。特に、自転車は有酸素運動であり、健康に非常に良い。こうして、医療負担を個人、行政共に削減できるようになる。お年寄りだって、使いやすい公共交通で自由にあちこち行けるようになるから、今よりもっと生き生きと元気になるであろう。

[居住環境の向上 日本一住みやすい地域を目指せ]

 過剰にクルマ依存した社会は、生活の質を落としている。路地という子どもの遊び場を奪ったし、大人にとっても憩いの空間を減らした。あちこちが駐車場になってアスファルトで塗り固められ、緑が減少したし、ヒートアイランド原因にもなっている。騒音や振動に恒常的に悩まされている場所も多い。コミュニティの破壊にもつながってている。新堀川の問題こそ自動車と道路によるアメニティ空間の破壊だ。

 自動車を適正なレベルまで減らせば、きっと高知はもっと住みやすくなるし魅力的になるはずだ。子どもだってもっとのびのびと過ごすことができるだろう。日本に先駆けた脱クルマ先進県になって、日本一住みやすいという評価が得られるようにしていこう。多くの人を高知に呼び込もうではないか。そうすれば、過疎対策にもなるし観光活性化にもつながる。大企業の本社が環境のよさを狙って移転するかもしれないし、さまざまな国際会議の場所として高知が選ばれる日も来るかもしれない。

[観光の活性化 観光客の足を確保]

 自動車を使う観光は、増えれば増えるほど問題を起こす。渋滞や慢性的な駐車場不足は発生するし、地域の道路事情に疎いだけにトラブルや交通事故の原因になる。また、観光客の自動車自体が、観光地としての価値を下げてしまう。溢れかえるほど「二度と来るか!」という気持ちになるだろし、自動車関連の施設が地域の景観を大いに阻害してしまう。そもそも外国人の観光客には、自動車(レンタカー)は対応できない。

 一方で、公共交通機関が充実していれば、観光客でも安心して移動できる。安価な高知県全域1日乗車券等を使って高知県の各地を自由に移動できるようになれば、様々な地域の魅力再発見、活性化につながるであろう。それらを相互に結ぶ公共交通のネットワークを実現させる。だからこそ、土佐電鉄とごめん・なはり線およびJR土讃線との直通運転による基幹交通の充実や空の玄関口である高知龍馬空港への鉄道乗り入れを提言しているわけだ。

[高知を世界へ発信 世界的に有名な高知に!]

 環境問題への対応も、日本の小さい一地域で必死になって省エネルギーを推進しCO2排出を減らしても、地球全体で見ればほとんど全く意味のないレベルしかないだろう。莫大な人口を抱える中国やインドが経済成長にともなってエネルギー消費量が増大している前では、高知県での努力など物理的にはほとんど非力であろう。

 しかし、全く無意味ではない。むしろ、高知県の取組みが日本全国に、世界中に知られることにより、他地域でもその地域の事情に応じて応用されることが極めて重要だ。「CO2排出を激減させた高知市」、「日本で最も環境保全に対応した政策を実行している高知県」、「根本的にクルマ依存社会から脱出を図った高知都市圏」と、国際的な評価を受ければ、世界で高知県を見る目は変わるだろう。国際的な交流がひろがるのは高知県にとっても大きな財産になるはずだ。

[世界中を魅せる高知県へ]

 前項と絡むが、ビジョンを明確にした環境政策・都市計画をリーダーシップを発揮して実行して魅力的な高知県を創造していこう。高知県自体が魅力的になり、世界中の人々を魅せるようになれば、高知県は有名になる。それは、世界から訪れる人々が増えるということで持続的に観光立県を実現できる。こうして高知県をもっと活性化していこう。もっと、高知県固有の文化や歴史、街並み、自然などを大切にしていこうではないか!そこに、核のごみが流入することもやめさせようではないか!

 個人的には、高知市は、アメリカで言えばカリフォルニア州サンフランシスコやオレゴン州ポートランドのように魅力的になってもらいたいと思っている。どちらも、クルマ社会のアメリカの中では公共交通がしっかり活用されている都市である。実はポートランドは、様々な点で高知市と共通している点が多い。高知市だって世界中から人々が訪れる魅力的な都市になれる可能性を潜在的に秘めているのだ。そういう日が、いつか来るように高知県政、高知市政を実行していただきたいと思う。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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高知から持続可能な交通を実現する(21) 「「平和」「護憲」「反核」への近道は、クルマ依存社会からの脱出だ」

 8月に県民マニフェスト大会が開催されたが、当日は司会を担当していた、ブログ「けんちゃんの吠えるウオッチング」を開設しているけんちゃんも、簡単だがご自分のマニフェストを記事として発表している。

 以下にその記事の一部を引用する。 (わたしのマニフェスト

 「平和」「護憲」「反核」の3つです。

 「平和」は、憲法9条の精神で、海外派兵をせず、近隣諸国との善隣友好関係に努め、外交的努力で軍事力を行使して解決することを極力避ける努力をすることです。軍事以外に日本が国際貢献できる道はたくさんあります。

 「護憲」は日本国憲法の精神を遵守することです。とくに第25条の「生活権」を守ること。人として最低の生活は保障されなければなりません。年間自殺者が3万人出る社会は異常です。

 「反核」は環境問題そのものです。原子力発電は多資源消費型社会の象徴。電気を使い放題の社会を推進して、環境にやさしい原発ということはありえません。廃棄物問題も解決していませんし、地震大国日本では原発は危険な施設であるからです。

 国でも地方でもこの3つのマニフェストを基本に物事を考え実行すれば上手く行くと思います。

 どれも人類の幸福にとって、非常に重要なテーマだ。核問題は、戦争も事故も含めて一瞬の過ちで地球上で大きな被害をもたらす極めてデリケートなことである。この内容だけでは、抽象的であるものの、私が掲げる「クルマ依存の交通体系から脱却し、地方公共交通や自転車を活用した、環境負荷が少なく住みやすい地域づくりを推進する」ことは、この3つのマニフェストをより具体的にしたものだということに気がついた。それを具体的に解説しよう。

 まず、「平和」。現在の世界情勢は、各国のエネルギー確保による思惑が大きくかかわっている。アメリカがイラクに侵攻したのも、フセインや大量破壊兵器は表向きの理由だったが、石油資源が豊富にあるからに他ならない。資源の奪い合いが戦争に繋がっているのである。中国・インドの経済発展に伴い、今まで通りの石油資源の獲得はますます困難になってくる。略奪のために武力が行使されない保証はどこにもない。

 過剰な自動車利用は、石油資源を大量に浪費する。自動車の利用を減らすことは、石油資源の消費量を減少することになり、エネルギーの効率利用を図れる。無理して争奪戦に参加する必要もなくなるわけだ。

 次に、「護憲」。自動車での移動は、実は移動の自由を保障していない。免許をもっていない人、自動車を運転できない人、自動車を維持するほどの経済的余裕がない人は、非常に制約を受けるライフスタイルを、公共交通が衰退した地域では強いられている。誰かの車に乗せてもらう移動では、自分の意志による移動とは程遠いものであるし、現在の公共交通も運賃が高くて少ない年金生活ではそうホイホイ乗れるものではないし便数も極めて少ない路線が多い。ビジネスや観光での来訪者は地理に不案内な人が多いので自動車の運転は不安がつきまとう。公共交通機関を、誰もが公平にさほどの不便がなく安価に安心して利用できる社会こそが移動の自由を保障する

 また、自動車が氾濫したことによる弊害にも目を向けなければならない。あらゆる路地や空き地に自動車が走ったり停めたりすることにより、本来なら大人に大切にされるべき子どもたちが、常に自動車の危険にさらされている。そのため、通学や遊びでも子どもたちは、日常的に安心することができず、おびえなければならない。生活道路がかつては子どもの良き遊び場だったが、それも根こそぎ奪ってしまった。それを、大人が「利便性のため仕方ない」と、言おうものならそれは大人の身勝手な主張に過ぎない。(※それらを、杉田聡氏は「大人による子どもへの命すら奪う壮大ないじめである」と主張している)

 「子どもの権利宣言」「子どもの権利条約」でも、子ども固有の遊ぶ権利成長し発達す権利がうたわれている。当然ながら、交通事故で殺傷されることが日常茶飯事なのも異常なことで権利の侵害であろう。国際人権規約のB規約にも「児童の権利」はしっかり織り込まれている。大人も含めて、排気ガスや騒音、振動で生活環境が脅かされることも生存権、幸福追求の権利を著しくスポイルしていると言わざるを得ない。路地は大人にとっても、生活の場であり、憩いの場であり、立ち話や夕涼みなどのコミュニケーションの場であった。少し自動車の利便性を手放してみると、忘れかけていた生活の質とは何かということに改めて気づかされるだろう。

 第25条〔生存権、国の社会的使命〕のみならず、他の基本的人権にも大きく関わってくる重要な問題だ。教育を受ける権利(26条)勤労の権利(27条)にもつながってくる。「交通権」という考え方がある。自由に移動する権利は、人々の基本的な人権の一つだという考え方だ。憲法における生存権や幸福権の一種である。国際人権規約にも「移動の自由の権利」は、はっきりと記されている。交通は社会活動においても基礎的なことであるので、今後の大きな検討課題だ。

日本国憲法 第25条 〔生存権、国の社会的使命〕
 1.すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。
 2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 「反核」も大きくかかわってくる。つまりは脱原子力発電であるが、クルマ依存社会を続ける限り、原発建設への圧力は大きくなる。自動車は石油で走るので、ウランが燃料の原発と関係なさそうだが、石油は電気にも変換できるエネルギー資源なので、自動車に石油をたくさん使ってしまうと、他に使える石油がそれだけ減ってしまう。また、スプロール化、郊外型のロードサイド店の進展は、エネルギーをより浪費する都市構造を出現させ、大量の自動車の製造から廃棄のサイクルもエネルギーを大量に消費する。それも、大量の電力消費を必要とし、原発増設の世論を喚起する原因につながる。

 電力会社をはじめとして、関係者は「原発は安全だ」と主張する。しかし、世の中何が起こるかわからない。53基ある原発の中で、一基でも事故ってくれたら広域で長期にわかり甚大な被害をもらたらすことになる。スリーマイル、チェルノブイリや東海村の事故があり、その他でも様々な隠蔽工作や耐震設計のミスもあった。あわや大惨事ということも一度や二度ではないはずだ。原発の負の部分が、今になり噴出しているが、もうこれは「原発はもうやめるべき」という人類へのメッセージだと思えてならない。人間生活の基本は家庭であるが、人々が快適な生活をおくるのに、なぜ高レベル放射性廃棄物を発生させるような大げさなことをする必要があるのだろうか。本当に、人々の生活のために「核のごみ」を生むことが合理的なのだろうか、今一度考えるべきだ。

 鉄道が主体の公共交通と自転車を上手く活用して、一人あたりのエネルギー消費量を減らせば(鉄道は自動車の10分の1以下)、原発からはおさらばできるし、石油への依存度も下げられるだろう。環境保全と移動の自由を、同時に保障することができるわけだ。

 脱クルマ社会の実現こそ、「平和」「護憲」「反核」への近道である! 

 それを高知から世界へ発信しよう!

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高知から持続可能な交通を実現する(20) 「これからの県政課題にするために」

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(高知県知事選挙ポスター掲示板 西村健一さん提供)

 今月8日に、告示となった高知県知事選挙だが、聞くところによると全く盛り上がっていないようである。おそらく投票率は相当に低い可能性がある。知事選の関心のなさは、危機的だと思う。県民の多くが、与えられている民主主義の権利をまともに行使しようとしないわけであるから。これは断末魔の様相であり末期的症状だとも思えるくらい不気味な状況だ・・・・。以下のは、西村健一さんが開設しているブログの関連記事である。

 ・ 低い関心でいいのか県知事選挙 

 ・ 県知事選の投票率が問題 

 現在、高知県の経済状況は大変厳しくなっている。建設業を中心にどんどん会社が倒産しているそうだ。住民税が上がってからみんなの財布の紐がかたくなり消費も落ち込んでいるらしい。もう、これは大恐慌と呼べるレベルかもしれない。現在は高知県の不況が顕著であるが、これからはアメリカの影響もあり、日本全国に波及する可能性もある。そうなれば現代資本主義そのものが崩壊する可能性も否めないだろう。

 こちらも西村健一さんの記事を参照していただきたい。マジのマジで高知県の経済状況はやばくなっているのだ。大げさに言っているのではなくマジである。これも、県知事選について考える余裕がなくなっている原因であろう。「もうそれどころではない!」と悲痛の叫びが伝わってくるほどだ。

<けんちゃんの吠えるウオッチング>

 ・ いつまで続く高知の不況 

 ・ ある建設業者の倒産 

 ・ 地方はどこも不況 

 ・ 「峠の茶屋」も今は寂しい 

 ・ 経済指標の大本営発表? 

 ・ ある商業者の本音

<けんちゃんのどこでもブログ>

 ・ 米国発の大不況の到来か?

 ・ 大不況がやってきた

 そんな中で、公共交通の利用促進、利便性向上、都市計画とリンクした総合的な交通政策と訴えてもなかなか声が届かないのはむしろ当たり前かもしれない。そんな理想像を掲げるより、明日の糧をどうするかが重要になってくるなら、それも無理がないだろう。余談だが、私だっていつも光熱費の支払いに追われ続けているわけで余裕は全くない。

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(ここまで上がったガソリン価格)

 しかし、ここまで業者の倒産が増え、失業者が溢れ、十分な所得が得られなければ、自動車を維持するのも難しくなるであろう。何しろ諸経費込みで年間60万円以上かかる金食い虫なので・・・。ガソリン代も上がっている。10月からはレギュラーでリッター150円を超えたとか。それがさらに上昇しリッター200円を超えようものならば、自動車を所有し、それを個人個人で利用するこれまでのクルマ社会は方向転換をせざるを得ない。自動車の利用を限定する、ある一定範囲内では自転車で済ます、カーシェアリングの導入を検討するなどしなければいけなくなってくる。その延長上に、公共交通機関をもっと使いやすくしようというニーズは出てくるのは必然だ。

 高知から持続可能な交通を実現する(14)

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(国内ガソリン価格推移のグラフ)

 現在、この問題が、真剣に議会で取り上げられることもないし、議員さんでも詳しい方がいないようだ。県民の間でもマイナーな部類に入る関心事である。とはいえ、人々の足である交通手段は、県民生活にとって極めて重要だ。社会的、文化的な活動を展開する上で移動・交通は最も基礎的な要素の一つである。ゆえに、これからもっと取り上げられていかなければならないと思っている。膨れ上がったクルマ社会の弊害を乗り越えるためにも。

 新たな高知県知事が決まったら、是非とも重点政策として実行していただくよう働きかけることがさし当たって必要であることだと思う。その中で、市民レベルでも理解度を上げ、自分たちができることも考えていかなければならないわけで、やるべきことは沢山あるだろう。私も個人レベルでできることは、精一杯やっていく心構えでいる。

 とにかく、この厳しい状況だが、これからは新知事に全部やってもらおうという心構えではダメだ! 

 県民の方が、知事が誰だろうが、パッとしなかろうが、やるべきことは自分たちでも提案・行動し県政を動かすくらいの強い意志が求められる!

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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書籍紹介(17) 『野蛮なクルマ社会』

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 筆者は、現代の車社会を「現代における最大の怪奇」だと述べているが、これには私も異論はない。

 毎日毎日、全国のどこかで人が自動車に殺されたり、傷ついたりしているにかかわらず、それがさも当たり前の出来事として扱われ(年間の死傷者からしたら日常茶飯事であると言わざるを得ないが・・・)、何ら抜本的な対策をとらずに、何十年も車社会のあり方を本質的に変えようとしないのだから。鉄道や航空機の事故、工事現場の事故、家電製品等の火災に対する社会の対応と比べてみてもその無頓着さ(交通事故は仕方ないという考え方)は明白だ。

 また、子どもへの交通安全教育も怪奇そのものだ。子どもには耳にタコができるくらいに、「車は危険だ!車に気をつけろ!飛び出すな!道路であぞぶな!」と、言い聞かせておきながら、当の危ない原因をつくっている自分たち大人の自動車利用は不可侵としているわけだから。それでいて子どもが事故に巻き込まれると、子どもにも過失ありとする社会の風潮も異常であると。それに対して、「子どもは視覚等も未発達で判断力も大人に劣る。時に間違うものであり、飛び出しなども興味引かれるものがあったら当然してしまう。道で遊ぶのも子どもにとって当然で大人がそれを制限すべきでない。大人がやるべきなのは子どもが間違っても二重、三重に守られるようにすることだ。」と述べている。

 このように筆者は、現代の車社会のあり方を疑わない社会自体を痛烈に批判している。それは、けっこうキツイ主張であるが本質的には間違っていないと思う。他にも、市街地の速度は20km/hに制限せよ、ハンプを幹線道路にも入れろ、歩行者とは厳重に隔離せよ、路地は通行禁止にせよ、運転基準を設置せよ、専門家のみに操作を委ねよ、助手席には警察官(要するに副運転手)を乗せて安全を確保せよ、歩行者にぶつかっても死傷事故にならぬように車体をやわなものにせよ、自動車の絶対量を減らせなどと、相当に過激な主張が並ぶ。

 それらを実行するかはともかくとして、こういう問題意識をもっとドライバーに知ってもらうのはいいことなので、教習所でこういうこともきちっと教えるべきだと個人的には思う。少なくとも、今よりは歩行者に気を使うようになるだろう。

(目次)

序 論 まず全体を理解しよう

 1 犠牲(いけにえ)になる子どもたち
 2 過剰モータリゼーションの結末
 3 私たちに何ができるか

本 論 もっと詳しく知ろう

 第1章 自動車によって道は危険のちまたに
  1 自動車にはシステムの欠陥がある
  2 危険な自動車・危険な無法駐車
 第2章 自動車の害は広範囲に及ぶ
  1 排気ガスが肺をむしばむ
  2 騒音・振動が心もむしばむ
  3 スパイク粉塵(車粉)もいぜんとして深刻だ
  4 ホコリも泥はねも、ガラス公害も犯罪も
 第3章 他の誰よりも子どもやお年寄りが影響をこうむる
  1 子どもは遊び場を奪われて泣いている
  2 お年寄りには利用できるバスがない
 第4章 ハンプで事故は激減する
 第5章 せめて小路は「禁車」にしたい
 第6章 運転は素人にまかせてはいけない
 第7章 何よりもクルマが多すぎる
  1 鉄道や市電をもっと使おう
  2 公害には責任をもってもらおう
  3 自動車会社にも厳しい目をむけよう
 第8章 交通行政を考え直そう

  1 パート警察官を雇わせよう
  2 交通行政も異常だった
  3 「西独型対策」だって異常だ

 あとがき
 事項索引

『野蛮なクルマ社会』(杉田聡著 1993年5月 北斗出版)
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高知から持続可能な交通を実現する(14) 「カーシェアリングを普及させよう」

 「カーシェアリング」とは、自動車を共同で管理し使用する仕組みである。例えば、数人~数千人と規模はさまざまであるが協会に加盟し、年会費などの会費を払い、利用のたびに、車種や走行距離、利用時間に応じて使用料を支払うというシステムである。レンタカーに似ているものの、短時間使用の設定もあり、日常生活でも気軽に利用できるところが大きな相違点になっている。

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(カーシェアリングの駐車場。出典:都市再生本部

 これは、無駄な自動車利用を抑える上で大変有効に機能する。現状では、一旦、自動車を所有してしまうと、それを最大限に使ったほうが安上がりになるので、公共交通機関が利用できても自動車を無理に使ってしまうし、近場でもついつい楽だから乗ってしまう。購入、所有に高くつき、利用にかかる費用が比較的安いのが原因だ。

 カーシェアリングだとそのような無駄な利用をなくすことができる。利用料金には、ガソリン代以外にも、購入費、管理費用、整備費用、保険費用が含まれた形になっているので、それなりに割高につく。だから、便利な鉄道が並行しているのに車で行く、ちょっと500m先にタバコ買いにクルマで行くなんて利用は、まず考えられない。クルマを借りるくらいなら自転車で行った方が速いしタダなので当然だ。財布の紐がかたい人ほど、自転車を活用するようになるだろう。

 例えば、休暇に家族旅行で使う時、大きな荷物を運ぶ時、週末の行楽で山岳地など自動車でないと行けない場所に行く時など、自動車の利点を大いに発揮でき、自動車が本当に必要なときこそ賢く使う選択肢ができる。

 利用者にとっては、用途(利用人数、荷物の種類、目的地など)に応じて、適した車種を選択できるし、賢く使えばマイカーを保有するよりずっと安上がりになるなど、明確なメリットがある。通勤に使うならばやむを得ないが、週末しか乗らない、年間5000kmも乗らないとなれば、俄然カーシェアリングに軍配が上がる。

 現状でも、家庭で二台目のマイカーの替わりにすることはできる。なるべく一台のマイカーを融通を利かして使い、どうしても同時に別々の用事でクルマが必要なときだけカーシェアリングを利用するなどニーズは多くあるはず。企業や公官庁にとっても利用に応じて経費が計上されるので、無駄な自動車の保有を抑えられるメリットがある。

 質の高い公共交通機関、自転車利用のサポートで、大部分のニーズを満たし、残りの部分をカーシェアリングでまかなうとすれば、大幅に自動車利用は削減可能になる。今、私たちがマイカーを保有しそれに乗ってあちこち行き来しているが、そのどれくらいが本当に自動車でないといけないか考え直してみよう。7kmくらいまでだったら自転車でも問題なく移動できるし、現状でも公共交通機関で用が足せる場合も多いはずだ。

 カーシェアリングは、日本でも徐々に普及しつつあるが、まだまだ発展途上だ。高知県では、経済状況が依然深刻であるので、みんながこのままクルマを維持していくのも厳しくなろう。その打開策としてカーシェアリングの推進は大いに意義があることだと思う。失業者が溢れ、低所得者が多い中でマイカーを保有し使用するのは正直キツイはずだ。ガソリン価格の高騰も、さらなる家計の圧迫につながっている。どうしてもマイカーがないと不便なこともあるから維持費が高くても手放せないでいるが、利用するときだけ借りられるカーシェアリングが導入されると一気にそちらに移行する可能性すらあろう。自動車を手放す人が増えると、当然ながら公共交通の利用者が増えるし、公共交通を充実させるニーズだって高まるはずだ。

 高知県ではまだ、本格的なカーシェアリングの取組みはないようだが、カーシェアリング・ビジネスを展開する人があらわれることを期待しよう!

<カーシェアリングが普及すると>
 ・ ごく近距離では徒歩で済ますようになる
 ・ 片道10km程度までは自転車やバスを選択するほうが賢明になる
 ・ 自転車の利用頻度は間違いなく大きく向上するだろう
 ・ 遠くへ行く場合でも自転車と公共交通を組み合わせた交通手段を考えるようになる
 ・ 結果として自動車の利用頻度は下がり走行距離は少なくなる
 ・ 交通渋滞や交通事故も減る
 ・ 大気汚染の緩和やCO2排出削減に貢献する

 ・ 家計にとっても自動車の維持費が減る分余裕ができる
 ・ 運動不足も解消し健康維持に役立つ
 ・ 駐車場など自動車に縛られていたスペースが他の用途に転用可能になる

《参考サイト》 どのサイトもすごく参考になる

 ・ カーシェアリング普及推進協議会

 ・ カーシェアリング 都市交通の未来をデザインする

 ・ カーシェアリング(Wikipedia)

 ・ 車の共同利用、57%が関心 高知市などNPO調査 (2003年1月29日高知新聞)

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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ガソリン価格は上がっても・・・

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ガソリン価格がまた上がった。この写真は、高知県のあるセルフでないガソリンスタンドであるが、レギュラー147円と表示されている。セルフスタンドでも145円である。

ガソリン価格が上がって、自動車が必需品となっている地方では出費増を強いられている。 「エー!また上がるの!?金がかかってキツイ・・・」というのが大勢の感想ではないだろうか?

ところが、私からして不思議なのは、多くの人は、そうは思っていても相変わらず今までと同じように自動車に乗り続けていることだ。 「3km~5km程度の近距離移動なら燃料代のかからない自転車に乗ろう」となってもおかしくないはずだが、なかなかそういう動きが出ない。

高知で見た感じだが、ガソリン代高騰と言いながら、自転車に乗る人が全然増えていない。自転車を利用しようという動きがあってもおかしくないのに、その予兆すら全くない。高知なんか所得水準も低いにもかかわらず、そうはならない。いくらクソ暑いと言っても、むしろ不思議なくらいに思う。

いや、それどころかカーエアコンを控えようとすらなかなかならないのが現実だ。それだけ、自動車依存症になって、自動車を節減する発想に至らないのだろう。

とりあえず、計算を簡単にするために1リットル150円としよう。そして燃費は1リットル当たり15kmとする。そうすると、150円で15km走行することになるが、1kmあたりでは10円のガソリン代である。年間1万キロ走ったら10万円、2万キロ走ったら20万円のガソリン代がかかるという計算だ。

高知のような地方では、自動車を所有していたら年間1万キロは誰でも走ると思う。最低でも、年間10万円。高いと見るか安いと見るかは、人それぞれだと思うが、自動車を維持するのにはとにかく金がかかる。
購入費、税金、保険代、車検代、高速代、駐車場代・・・すべてを勘案するといったいいくら自動車に金をかけているのか・・・。

自転車の交通能力は、ママチャリレベルにとどまらない
25~30km/hで巡航し、15~20kmなら楽に移動できるポテンシャルを備えているのが本来の自転車が持っている交通スペックだ

いきなりは、20kmと言っても敷居が高いが、5km程度なら自転車に切り替えてみてはどうか。
燃料代の節約になるし、健康維持にも有効である。
このブログ記事を見た方、チャレンジしてみてはどうだろうか?

【参考記事】
クルマを捨てて歩く
車の削減なしにCO2削減は無理
・ガソリン価格の値上げは大変

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川口市園児死亡事故再考No1 クルマ社会を斬る!(1)

「クルマ社会を斬る!」とは、名の通りクルマ依存社会の問題について様々なことを扱っていきます。

mixiの[★車社会を否定したい人々★] コミュニティにも、ほぼ同じ内容で載せていきます。

まずは、2006年9月25日に、埼玉県川口市で発生した園児死亡事故の件について私が思っていることを載せます。11月24日に、死亡した園児4人の「お別れ会」が開かれたことですし。この機会に、色々とクルマ社会について考え直す、ささやかながら何かのきっかけになればと思うのです。

事故の概要は、幅員約6mの生活道路を、私立小鳩保育園の園児33人と引率の先生5人で公園まで行く途中、わき見運転の自動車に突っ込まれ、園児4人が死亡し、引率の先生1人を含む12人が重軽傷を負った事故です。

事故現場は、園児の泣き叫ぶ声が響き、血を流し、はね飛ばされて道路に横たわる子どもたち、あまりにも悲惨な状況であったそうだ。ああ、考えるだけでもツライすぎる光景。

運転中にカセットテープを入れ替えようとして、園児の列につっこんだということですが、ドライバーの過失(本当は過失なんて甘ったる過ぎる!)、安全意識の低さ以上に気にかかることがあります。運転中にこんなことをするなど言語道断なのは言うまでもないがね。

ここからが本筋。

それにしても、園児の散歩のときに、引率の先生が、

「クルマがきたよー ぺったんこして!」

って、園児を立ち止まらせ、道路脇に張り付かせ、クルマが通り過ぎるのを待つのって、よくよく考えたらおかしな話ではないでしょうか?

歩行者である園児たちが、待機させられ、自動車は速度も落とさず、側を通り抜けていく現実・・・・。日本は、どこまで自動車優先主義に洗脳されているのかと、情けなく思ってきます。

本来なら、自動車が、園児が通り過ぎるまで停止して待つべきではないか?より強大な運動エネルギーを持つゆえに、生身の人間、しかも人生まだまだこれからの幼い園児たちに、危害を加えてしまう可能性があるならば、最も安全な方法をとるのが社会の常識ではないのか??

もし、やむを得ず自動車が側を通るにしても、引率の先生が旗を持って、最徐行で安全に誘導すべきです。警備員を雇うことも考慮すべきでしょう。

次に、ドライバーにいくら気をつけろ、安全運転しろと繰り返し言っても、飲酒運転など厳罰化しても本質的な解決にはなりません。そもそも、そのような行動をあらかじめ抑止するシステムが不在ですから。

この事故の場合では、運転中に他の操作をすることを防止するシステムの不在、そのような安全意識の低いドライバーを輩出する免許制度などから根本的に見直さないといけないでしょう。

いや、カセットテープやカーオーディオの存在自体から問い直さねばならない。運転中にカセットを入れ替えるという行動が可能であり、それにより不適切な運転操作を招いてしまうこと自体が問題視されねばならないです。事故の直接の原因を考えると、

なぜ事故が起こったのか?⇒カセットを入れ替えようとしてわき見運転したから。

では、なぜカセットを入れ替えようとしたのか?⇒運転中にテープが終了し入れ替えたかったから。

なぜ、車内で音楽が流れるのか?⇒そんなの簡単だ。カーオーディオがあるからに決まってる!

少なくとも、この場合カーオーディオがなかったら事故は起きなかった。同種の事故を本当になくしたいなら、こういうところまで突き詰めるべきだ!走行するにあたって全く不要な機器であり、それが運転に気をそらす要因になるならば、その利用は制限されて当然ではないのか?災害用限定に最低限のカーラジオがあればいいのではないだろうか。

また、このような事故をなくすには、飛行機みたく副運転手を助手席に乗せつねにドライバーの行動を補佐・指導する、鉄道の運転士みたいにドライバーの管理を厳格にする、抜き打ちで運転審査官が同乗して指導するなどしないといけないでしょう。

そもそも、生活道路にクルマを入れることに対してもっと慎重にならないといけないですね。これは後ほど詳しく述べることにします。その道路の状況は、

近所の人によると、事故があった路地は信号機がない「裏道」で、近道として利用するドライバーもいるという。「こんな狭い道なのに40~50キロぐらい出して走る人もいて、何度も怖い思いをした」と憤る女性もいる。

とのこと。これは、また別の機会に譲ります。語りだしたら文章が3倍くらいにふくれあがるでしょうから。

最後に、亡くなられた園児4人のご冥福を心からお祈りします。

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『クルマを捨てて歩く!』 ブックレビュー(3)

406272085x09_1 『クルマを捨てて歩く!』(杉田聡 2001/08 講談社+α新書)

内容(「BOOK」データベースより)
クルマのない生活は可能、人間らしい生き方が始まる。クルマを捨てると、時間がふえる!お金がふえる!体力がついて健康になる!歩く楽しさと、心身ともにリラックスする快適さを味わえるシンプルライフの提案。

(管理人のコメント)

クルマを捨てると・・・
1・人生の持ち時間が増える
2・お金が増える
3・たくさん歩くので、よけいな脂肪が減り、体力がつく
4・歩く生活になることで、自然や人とのかかわりが深くなる
5・環境を汚さないし、資源のムダづかいを減らせる
(本文より抜粋)


この本の著者は、公共交通網の発達した大都市で生活しているわけではない。誰もがクルマなしでは生活できないかのように思える、中小都市でしかも真冬の気候は、とても厳しい「北海道帯広市」でずっとクルマなし生活を続けているのである。しかも、家族全員で。
筆者は、クルマに乗らないのは何も環境保護など禁欲的なものでなく、何よりそうすることが楽しいから、精神的にリラックスできるからということを分かりやすく説明している。そして、何より人を殺してしまう可能性があるものを使わないことは、人間生きていくうえですごく重要なことだ。

私たちが、日々の生活でクルマに乗るということが、本当に理にかなった行動であるのかということを、改めて考え直される。いかに、クルマ社会は便利ですばらしいものであるかと洗脳されてしまっていたかにも気づかされる。

他にも、色々と考えらされることは多い。
・なぜ、鉄道車両の運転はプロに委ねられているの、ずっと危険で不安定なクルマの運転は、素人同然の人間に委ねられているのか?
・子供には常にクルマに気をつけなさいと言っておきながら、その原因を作っている大人自身はクルマ利用を改めようとしないのか?
・自賠責保険は、なぜ自身のものでなく、他人を殺傷したときを想定しているのか?
・なぜ、1年の間に1万人近い人が死亡しているのに、自動車交通システム自体の欠陥を認め、抜本的な改善に向けて努力しないのか?

クルマに乗らないと不便なこともあると認めているが、何よりクルマに乗らないほうが、余計な心配をする必要もない。毎日すっきりと納得できる行動をしていたほうが、ずっと満ち足りた気持ちでいられるということだ!

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