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自転車問題の本質はまだまだ理解されず(高知新聞特集記事)

2011年5月23日(月)から25日(水)の3回ににわたって、高知新聞夕刊で「銀輪の代償 県内自転車事故の周辺」というタイトルで特集記事が掲載されている。

1
(2011年5月23日(月) 高知新聞夕刊記事)

2
(2011年5月24日(火) 高知新聞夕刊記事)

3
(2011年5月25日(水) 高知新聞夕刊記事)

自転車対歩行者の交通事故という、以前から問題になっている深刻なテーマであり全体的な内容も悪くない。確かにデタラメがまかり通ってきた自転車交通の負の側面である。

が、(下)の最後でその対策として書かれていることが・・・・

何度読んでも胃がムズムズしてくる(冗談抜きで)

記者も行政も事の本質を全くもって理解していないのがよく伺える内容に仕上がっている(笑)

問題の本質は、「自転車を歩道に上がらせているから」他ならない。そこをいくら色分けしたってなんら解決にはならないのだ。

本質的な解決方法は、「自転車を車道に戻すこと」以外にない。

記事で述べられている桟橋通りの場合は、そうするには片側2車線を削るわけにはいかない(路線バスも走るので)だろうから、歩道そのものを狭くして、車道の一番外側に自転車レーンを設けるしか方法がないだろう。ただし、その場合は街路樹を移設する大工事になりかなりの予算がかかる。

ひょっとしたら、行政もこんなことは十分承知しているかもしれない。しかし、理想を実現しようとしたら予算がかかる上、「自転車は歩道」という間違っていながらも長年染みついた慣習に対抗することになるので、市民から反発も予想される。

で、妥協の産物としてあのような「歩道色分けレーン」が仕方なく出現したと考えられなくもない。

だが、そのように妥協してしまう背景には、「自転車は一人前の車両でありかつ一人前の都市交通手段である」という認識の徹底的な欠如だろう。

これが地方の中の地方である高知の実態である。

東京ではここ10年で車道を走る自転車は日常的な光景になった。しかし、高知では歩道があればみなそこを走る。それが生活道路で、歩道がいかに狭かろうが、交通量や車の速度が低く車道走行に不安がなくてもだ。

著書も今になってようやく執筆を再開した。それが地方の自転車活用を大きく前進させるきっかけになることを願ってやまない。

(参考記事)
なぜ、今さら自転車レーンを歩道上につくるのか?(2007年8月26日)

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コメント

まったく同感です。自転車に乗らない記者が、勉強もせずに連載したとしか思えない内容で、残念です。
このブログを通じて、これからも自転車普及及び啓蒙に頑張ってください。
香南市在住 ツーキニスト

■masamaybeさん

そうですね。新聞記者もこの分野のスペシャリストではないから仕方ない面もありますが…。
高知では、歩道から車道への転換はまだスタートラインにすら立っていません。

こんばんは。同意です。
私は名古屋の者ですが、名古屋の中心部は道がけっこう広いんで、車道にガードレールを付けて自転車レーンにすれば済む話なんですが、わざわざお金を掛けて色塗って工事して。工事するのも目的の一つだと思ってみています。

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