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自転車を長持ちさせる工夫

 街中で見かけるママチャリをはじめとする多くの自転車は、ろくにメンテナンスもせずに乗り放しにされている。数年でボロボロになり廃棄されるなり放置されるなりして、ゴミになってしまう。個人の勝手かもしれないが、なんという無駄なことといつも思う。

 私はこんなアホらしい使い方はしない。物を大切に使いたいということもそうだが、走行性能や快適性を維持するには日ごろのメンテナンスは欠かせないし、乗り方にも気をつける必要がある。そうすると、故障も少なくなり、結果的に長持ちするわけだ。トラブルがなく長持ちするということは、経済的であるということでもある。

 私が実践している自転車を長持ちさせる工夫を紹介する。知っている人は誰でも実践している、実にごく基本的かつ簡単なものばかりだ。

[雨ざらしになる場所には置かない]

 これは最も基本的なこと。雨ざらしは汚れや錆びの原因になる。保管場所は、自転車の寿命を大きく左右する要因である。なのに、多くの人は平気で雨ざらしになる場所に置いている。まあ、自宅やアパート等でもそうせざるを得ない場合も多いのだが、あまりにも置き場所に無頓着だとも思う。

 最も理想的なのは、室内保管であるが、それが難しい場合でも直接雨が吹き込まない場所に置くようにしたいところ。自宅以外でも、長時間駐輪する場合はできるだけ直接雨に濡れない場所に置くようにして、雨にぬれた後は簡単でいいから拭くようにしよう。

[転倒しそうな場所を避けて駐輪する]

 転倒は傷やガタツキの原因になる。用事を済ませて帰ってきてみたら自分の転倒していたりモミクチャにされていたりすると、ゲンナリするし、顔が引きつるものだ。なので、長時間置く場合は、風や他の自転車に引っ掛けられて転倒する可能性のある場所は避けるようにしている。

[タイヤの空気圧に気をつける]

 タイヤの空気圧が低いと走りが重くなるし、何よりパンクの原因にもなりタイヤの磨耗も早くなる。少々のことでへこまないくらいの空気圧を保つのがよい。路面の状況にある程度気を配れば、まずパンクすることはないと言っていい。

[加速・減速はゆっくりと]

 無理に力を入れての加速は、チェーンや変速装置、ハブ等に無理な力がかかり故障の原因になる。無理なく加速しかつ着実にある程度の速度域まで引っ張るのが、快適走行の秘訣である。私の場合は、発進時は女子高生にも負けるくらいであるが、しばらくして25~30km/hに達するので、結果的にはごぼう抜きしてしまう。

 減速の場合も同様だ。強いブレーキはブレーキパッドやワイヤーの寿命を縮める結果になる。自然に減速するのを上手く利用しつつ、ゆっくりとブレーキをかけるのが自転車への負担が最も少なくなる。前方の信号が赤になったら、すぐに漕ぐのをやめてゆるゆると減速すれようにしている。

 長距離走る場合は、低加速・低減速・定速巡航こそが疲労が少なくなる走り方である。

[後輪ブレーキは通常使用しない(ママチャリの場合)]

 これはママチャリの場合であるが、後輪のドラムブレーキにせよローラーブレーキにせよ交換するのは大変である。どうしても自転車屋さんの力を借りる必要があり、結構高くつく。それで、通常のブレーキ時には使用しないことにしている。前ブレーキだけでは危険かと思われるかもしれないが、ゆっくりした減速では全く問題ない。ただ、後輪ブレーキを全く使わないのも問題なので1ヶ月に1回くらいゆるくかけるようにすればよいだろう。

[段差では十分に減速して通過する]

 歩道を走る場合は、車道とのブロックの継ぎ目で結構な段差があったりする。低速であっても大きな衝撃がくることもある。それが積み重なるとガタツキや金属疲労の原因になる。そのような場所を通過する時は、十分に減速して通過するようにしよう。停止寸前まで減速する必要もあったりとかなりかったるい場合もあるが、車道を走るにも走れない場所もあるものでやむを得ないこともある。

 余談であるが、このような段差を、フニャフニャな空気圧でサドルべったりさげた女子高生どもがそろって通過する時に、パンクしやしないかといつも気になってしょうがない。

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自転車のメンテナンス、自分でどこまでできるか?

 自転車のメンテナンスであるが、ある程度のところまで自分でやるが、自分ではとても手に負えない部分や自信のない部分もある。

 みなさんは、どこまでご自分でされるのだろうか?参考までに、私の場合を下に書いてみる。

<自分でやれる部分>

 ・洗車
 ・チェーンへの注油
 ・空気入れ
 ・ブレーキの調整
 ・ギヤの調整
 ・パンク修理
 ・タイヤ、チューブの交換(ママチャリでも)
 ・ブレーキパッドの交換
 ・ブレーキワイヤー、ホースの交換
 ・ドロヨケ、チェーンケース等の取り外しと装着
 ・ブレーキレバーの脱着
 ・塗装

<自分では全く手に負えない部分>

 ・ハブ、BB、ヘッドの調整や分解整備
 ・後輪ブレーキの交換(ママチャリの場合)

<一応自分でできるが上手くできない部分>

 ・スポークの張力調整
 ・チェーンの結合(切断するだけなら簡単だが…)

 どうしてもスポークの調整を完璧にするには熟練した技術が必要だし、ハブなどの整備は専用の工具が必要だ。一応、専用の工具は持っているが、さすがに怖くてここまでは自分では手がつけられない…。廃車前提の自転車だったら平気ではあるが、いくら自転車好きと言えども、部品取りでもないのに、わざわざ廃車にするものを分解するのもめんどくさい。

 実際にここまで自分でできたら、ほとんど修理費はかからない。リムの歪みも気をつけて乗っていたらほとんど発生しないし、パンクも空気圧を適正にしていたらまずないと言っていい。タイヤやチューブ以外の部品も、そうそう交換は必要にならない。どうしても自転車屋任せになるのは、ハブやBBなどの整備(オーバーホールと言う)くらいである。これは数万円の予算がかかるが、7~10年に1回くらいでいい。

 一般の人がやるべきメンテナンスであるが、洗車と注油と空気入れは最低限としても、パンク修理やタイヤ交換、ブレーキの調整くらいはできるようになっても損はない。その場でもすぐ直せるし、自転車の構造をより知ることにつながり、トラブルにも早期に気が付くようになる。より自転車を知ることによって、故障を少なくし快適な乗り方も分かるようになってくる。

 ある程度のことは自分で対処する。それが、自転車との付き合いをより深いものにし、自転車生活を楽しくする秘訣の一つでもあるのだ。

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次世代実用自転車のスペックを考えてみる

 以前に「実用車よ21世紀に甦れ!」という記事で、従来の実用車には欠点があり、実用車を再起させる上では、その欠点を改良することが必要だということを書いた。

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(実用自転車の一種である郵便配達用自転車)

 最大の欠点は、重量物を運ぶに関わらず単一ギヤしかなく勾配などで全く歯が立たないことである。その点については書いたが、より詳しく述べていこう。具体的なスペックを考えてみる。

<フレーム・フォーク>

 この部分は、従来の実用車の堅牢な設計を引き継ぎ、頑丈なダイヤモンドフレームとする。材質は、従来の普通鋼よりも耐久性を高めたクロモリ鋼がよい。耐久性とコストと乗り心地を同時に実現できる材質は、もともと鉄しかない。

<ホイール>

 26インチのタイヤとするが、この部分はMTBで使っているパーツを流用してもよい。MTB用は強い衝撃に耐えられるように設計されているので、重量物を運ぶ実用車にもってこいだろう。

<ブレーキ>

 これも大きな問題だ。従来のロッドブレーキは時代遅れで問題外。全面的に見直す必要がある。ママチャリのブレーキは制動力に難があるので論外だとしても、Vブレーキもやや難がある。どうしてもリムを押し付けるため、雨の日などにはアルミ粉で汚れてしまう。ということで、前後ともディスクブレーキを装備するのが望ましい。これもMTB用のものを流用すればよいだろう。

<変速装置>

 重量物を積んでの発進や勾配での走行を考慮すると変速装置の装備は必須である。現在ではこれがないために、恐ろしく使えないシロモノになっている。また、荷物を積まない時には、そこそこスピードを出して走れるようにしたい。

 どういう変速装置がよいか。外装ギヤでは停車時に変速できない欠点がある。これでは使い勝手悪い。よって、内装変速にすべきだが、最も普及している3段変速では、きめ細かい対応が不可能だ。そこで、シマノのインナー8を用いて8段変速にするとよいだろう。

 ママチャリ8段変速化(SHIMANO 内装8段 インター8)

<その他>

 どうしても、堅牢な設計にするためある程度は重くならざるを得ないが、軽量化できる部分は軽量化したいもの。ハンドル、シートポスト、チェーンケース、ドロヨケなどはアルミパーツを使って軽量化が可能だ。総重量は20kg程度にしたい。また、専用のリヤカーも同時に設計するとする。

 こうなると、従来の実用車との違いは、「クロモリフレーム」、「ディスクブレーキ装備」、「内装8段変速」の3箇所であるが、耐久性を確保しつつ使い勝手のいい実用車が実現できるだろう。その他のパーツでも、上手いこと既存のMTBのパーツを取り入れたら比較的低コストで良質な実用自転車が開発できると思う。

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バカにできない自転車の「運搬能力」

 陸上での物の運搬は、トラックや貨物列車など動力付きの乗り物によるのが当たり前で、もはや自転車で運べるものとは誰も思っていないようだ。しかし、実はそうでもないようだ。

 下記の記事をご覧いただきたい。

 サイクルロード~自転車という道 大多数の人が過小に評価する (2008.08.17)

 自転車に連結したリヤカーで荷物を運ぶ様子が、写真で何枚も出てくるがなかなか壮観な光景だ。記事によると、最初の漕ぎ出しこそ力がいるが、一旦走り出すと拍子抜けするくらい軽く引っ張れるとか。中には、リヤカー3重連も…。

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 車両の本体価格も安いし、維持費もそれほどかからない。燃料補給の必要もなく、いつでも待機可能。排気ガスや騒音とも無縁。駐車スペースもそれほどいらない。近距離なら、なかなか優れた輸送手段だ。街中で使うのであれば、もっと人力輸送も見直されてもいいだろう。

 他にも、面白い記事があるので紹介しよう。同じくサイクルロードの記事である。

 何が出来て何が出来ないのか (2007.12.07)

 アメリカやカナダでも自転車による引越しが行なわれているようだ。近場の引っ越しだったら、トラックであっけなく運ぶより、みんなで楽しみながらの方がいいのかも。 

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 ここまで来ると、自転車の輸送力恐るべし…。軽トラよりも確実に上だ。日本でやったら凄まじく目立つだろうし、ケーサツに文句言われかねないけど。

 自転車で運べる物運べない物 (2006.11.05)

 今度は、中国の事例も。さすが中国、冷蔵庫でも、大量の干草でも自転車で運ぶ。昔、テレビで見たことあるが、切り出したばかりの木材ですら自転車で運ぶそうだ。

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 そこまでいかなくても、ちょっとした荷物を運ぶには、アルミフレームなどで軽量化の工夫をした新型リヤカーも登場していいだろう。

 どこかで見たことがある風景 (2006.09.09)

 中国の上海では、溢れんばかりの自転車経済発展で以前より少なくなったが、それでも市民の足として、様々な仕事で自転車はまだまだ大活躍しているようだ。最初から後部にリヤカーを組み込んだ3輪自転車もなかなかユニーク。

 経済成長の陰で消えゆくもの (2008.02.07)

 ベトナムの首都ホーチミンでも、オートバイが普及しているとは言え、自転車がよく使われているとか。客を前に乗せる3輪の輪タクから、運搬用3輪車、多種多様な商売と、かつて日本でもあちこちで見られた風景が、今も現役のようだ。

 実用自転車やリヤカーは、決して「ALWAYS三丁目の夕日」で見られるような懐古主義ではなく、間違いなく今後見直されるべき未来的な輸送手段だと思う。今では寂れてしまった旧商店街に、リヤカーを引っ張った自転車が走ることは、ヒューマンスケールの街を復活させる上で大きなヒントになるだろう。

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『地方都市の自転車生活』 今年中に出版予定?

 「そろそろ自転車言論界に参入しようか」で自転車本の出版構想を発表したが、実は執筆は遅れている。あれより体調不良(風邪をこじらせたりした)などもあり、あまり進んではいない。目次案は完成しているけど…。

 が、早期に完成させて、今年末には出版へこぎつけたいと思う。本業の研究もあり思うようにはいかないが急ピッチで書いていくつもりだ。

 その本の趣旨であるが、率直に自転車の良さを再発見して欲しいということだ。

 自転車本来のスペックを適材適所で発揮できれば、様々な場面において、自動車の替わりになる。それはガソリン代節約を始め、家庭での自動車保有台数削減にもつながる場合もあり、厳しい家計事情にとっては大きな朗報であろう。(←余計なお世話?) さらに、健康維持にも大きくプラスになるし、自分の住む地域の良さも改めて気がつくかもしれない。自転車といい関係を築いていくことは、間違いなく人生をよりシアワセにすると断言できる。

 まあ、そういうことであるが、実際に本が出て高知県香南市のような典型的な地方都市においてどのようなアクションがあるのかは、全く未知数だ。あと、長崎のような坂の多い場所や(それでもMTBのような多段ギヤ車や電動アシストなどを上手く使えば大分克服できる)、積雪地での冬季使用はちょっと無理があるが、その点はきちんと盛り込んで話はする。

 楽しみにしててくださいねhappy01

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高知から持続可能な交通を実現する(71) 「ごめん・なはり線と高知東部交通バスの連絡時刻表」

 これまでにも、何回か後免町駅でのごめん・なはり線と土佐電鉄線の連携について取り上げ、新聞の投書により実際に案内情報が改善されたりもした。今後、接続ダイヤへ改善されるかどうか、連絡時刻表が作成されるかどうかが焦点になろう。

 ごめん・なはり線は、安芸駅および奈半利駅で高知東部交通のバス路線も乗り入れている。ごめん・なはり線は奈半利が終点であるので、室戸、甲浦方面への役目を、上手くバトンタッチさせることは、かつて急行バスが空港経由で高知市内とを直通で7往復(2002年当時)運行していたことを考えると、極めて意義のあることである。

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(高知東部交通のバス http://thunderbird681.at.webry.info/200608/article_2.htmlより)

 ということで、2008年3月15日ダイヤ改正のダイヤをもとに、平日の安芸駅および奈半利駅での両者の連絡時刻表を作成してみた。ただし、記載する駅やバス停は、、全部書くのはすごく時間がかかるため、起終点や接続に関係する最小限に留めた。(それでも作成に2時間かかった…)

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(ごめん・なはり線、高知東部交通バス連絡時刻表 ※拡大可能)

 ダイヤ上の連携であるが、それなりに接続が考慮されているようである。特に、室戸方面⇒高知方面での連携は大変上手くできている。その点は大いに評価したい。しかし、一部でごめん・なはり線の列車が奈半利駅に到着する10分前に室戸方面のバスが出ており、次の便まで50分も待つ必要があるなど、接続に難がある箇所も見られる。

 そして、土佐電鉄線との連携でも言及したことだが、何よりこのような接続時刻表が一般向けに作成されていなことが大変惜しい。列車とバスを組み合わせての利用がなかなか意識できないからである。情報面でも両者の連続性が確保されると、高知県東部で公共交通利用の敷居がずっと下がるだけにもったいない話だ。安芸・室戸観光きっぷ徳島・室戸・高知きっぷなどもあるわけだし。(安芸・室戸観光きっぷは以前は3000円だったがいつの間にか5000円に値上げされた…)

 具体的にダイヤをより接続向けにするには、列車が安芸~奈半利で20分、バスが同じ区間を26分で走っているので、室戸・甲浦方面とは、安芸駅では4分、奈半利駅で10分で接続するようにするのが理想である。特に、奈半利~高知駅直通の列車とは、完全にスムーズな接続を果たすくらいにしたいところだ。また、馬路・魚梁瀬方面のバス路線とも室戸・甲浦方面のバスを補完する形で、安芸駅で接続を確保すようにするのが望ましい。その場合は、安芸駅発着の普通列車との接続が主になるだろう。

 現行ダイヤの中で、もっとも理想形に近いのは、高知駅8時30分発で奈半利駅9時40分到着の快速列車で、バス路線とは奈半利駅で12分(9時52分発)で接続し、終点のディープシーワールドには10時48分に到着する。室戸の市街地には10時34分頃に到着するので、高知駅からの所要時間はちょうど2時間である。かつての急行バスは、最速でも2時間30分はかかっていたので、実に30分もの短縮である。こう考えると、接続が上手くいっていると運賃面はともかく、時間面では室戸は距離の割りにはそれほど遠くないという印象だ。

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(高知東部交通のバス 安芸営業所にて)

 ごめん・なはり線の特性を最大限に引き出すためには、快速運行だけでなく土佐電鉄線や高知東部交通のバス路線とも、ダイヤや情報面で密に連携をとることが極めて重要であろう。公共交通の利用者を回復していくには、このような小さな積み重ねが大きな結果を生むと思う。

 ごめん・なはり線の時刻表も自社線とJR土讃線だけでなく、土佐電鉄線や高知東部交通の接続状況が一目で分かる連絡時刻表を作成・配布してもらいたいものである。下の以前も作った後免町駅での土佐電鉄線連絡時刻表と、上の高知東部交通との連絡時刻表を組み合わせればよい。これで、昔の急行バスとは違い物理的に2回の乗換えがあるものの、情報面では、高知市中心街と室戸・甲浦方面が真っ直ぐつながるようになる。

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(ごめん・なはり線、土佐電鉄線連絡時刻表 ※拡大可能)

 高知東部交通のホームページで以下のようなお知らせが載っていた。どのような改善がなされるのかを期待しよう。

平素は、高知東部交通バスをご利用いただき誠にありがとうございます。

この度、当社におきまして、阿佐海岸鉄道・土佐くろしお鉄道ごめんなはり線との接続等を改善し、これまで以上にお客様にとって「便利なバス」を目指します。

今後共宜しくお願い致します。

ダイヤ改正日:平成20年10月1日 水曜日より

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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高知から持続可能な交通を実現する(70) 「いい加減に駐車場幻想を捨てよ!」

 相変わらず、寂れる一方の中心市街地の活性化への処方箋として「もっと駐車場の整備を!無料化を!」という声が強いようだ。

 そのような趣旨で藤島利久さんがJanJanに投稿されていた。

 駐車場対策で地方都市再生

 まあ、読んでの感想だが「またお決まりのパターンが来たか…」。この案では一歩進んで、追手筋の一部を無料駐車場として解放するというご提案をしているのは、確かに評価できる。今あるものを活かすという考え方であるからである。

 しかし、それでもよく考えると絶賛している商店主も含めて、完全に自動車中心の思考で停止しているのには、暗澹とした気持ちになるばかりだ。あまりにも短絡的で安直すぎる対処法としか思えない。そもそも、無料駐車場の整備などと言うやつは、一体その費用を誰が負担するべきなのかを考えているのだろうか。

 いくら道路を開放すると言えども、自動車は一人や二人しか乗らないのにやたら図体がでかいので場所を食う。例え追手筋の外側車線を駐車場にしても、駐車台数はたかが知れているし、それにもっとも来客数が増える日曜日はどうするつもりなのか?追手筋には、周知の通り有名な「日曜市」が開かれるが、それを考えての発言だろうか?

 さらに言おう。追手筋にぎっしり自動車を停めたら、カナリーヤシやクスノキの緑溢れる潤いのある通りの景観が、全く台無しになるのは明らかだ。これは街の魅力を大幅に下げるので自殺行為に他ならないと思う。

 下の写真で、手前に1台の車が駐車されているが、それがずっと連なっている光景を思いうかべてみればいい。

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(追手筋のクスノキ並木)

 いつもいつも思うのだが、なぜ公共交通の活用に目を向けない?それとも敢えて無視しているのだろうか。

 現状では、運賃も高く本数も少ないなど不便な点が数多くある。また、乗っているのは学生や高齢者ばかりで、働き盛りの成人には、通勤で使っている人を除いてほとんど利用されていない。確かに、そのような公共交通が便利にできる、上手く活用できるとはなかなか想像すらできない。それゆえに自動車利用ばかりに目が向くのだろう。

 高知市の場合は、日本で現役最古かつ最長の営業距離を誇る路面電車もあるし、JR土讃線もある。各方面からもバス路線も通じている。これらが相互に上手く連携して運賃面などでも使いやすくなれば、ずっと街は身近になる。自動車を運転できない子供もお年寄りにも優しい街になる。自動車と違い駐車場も不要なので、街に大量の自動車のための設備を用意する必要も減る。それらの土地を、もっと街の魅力を向上させる用途に転用することもできる。

 むしろ交通政策の視点からは、公共交通の利便性向上にしたがい、駐車場削減や市街地流入規制などの抑制策を実行すべきだ。なのに、無料化などというより自動車利用を誘発するような施策ばかりを支持するとは一体何を考えているのやら。公共交通利用のインセンティブ向上こそ図られる必要がある。

 例えば、路面電車の運賃が最大450円から150円に下がる、安芸~高知の運賃が500円になる、土電・県交も含めた共通のパス(1日600円、1ヶ月6000円くらい)が用意されるなどすれば、どうだろうか?確実に便利で使いやすくなるのではないだろうか?

 そして、自転車の活用も積極推進したいところ。自転車は駐車スペースが自動車の10分の1程度ですむ。排気ガスも騒音も出さない極めて優れた交通手段である。それが、現実には、放置自転車と呼ばれ撤去されるばかりで積極活用する考えが薄いのはなんとも情けない話だ。

 優れた側面をたくさんもつ公共交通や自転車が冷遇されているのは、なんとももどかしい話だ。高知市もどうやら公共交通を支援する気は全くないようだが、一体行政として何を考えているのか。書くだけで不愉快になってくる話とはこういうことである。

 商店街主の方々にも公共交通や自転車にももっと目を向けてもらいたい。それが切実な願いである。

 公共交通や自転車の活用でこそ街は元気になる!

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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ブログに可能性を見出しつつも限界も感じる

けんちゃんがブログのあり方についてエントリを書かれております。

 社会性を持った議論をしよう

エントリでも書かれておりますが、アメリカや韓国では政治を動かすまでに至っています。これは個人がネットで簡単に情報を発信できるようになったおかげでしょう。ネットやブログは大きな可能性を秘めているのは間違いないですね。

しかし、一方で「限界?」みたいなものを感じるのも正直なところです。巷では「ブログ限界論」なんてものも出てきているようです。

 「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ

ここにもこう書かれております。

「現在の日本のブログは現実世界、特に「政治」に対して多大な影響を与えるレベルには到達していません。」

確かに、これは当たっています。無名の方が、ブログに政策発表することにより市民の得票を得たり、支援者がブログで応援して当選した候補者もいません。(よく調べたらいるかもしれませんが…) そもそも、公職選挙法でインターネットの使用が規制されてもいますし。

私も弱音を吐くようで申し訳ないが、可能性を期待しつつ限界みたいなものをヒシヒシと感じています。

このブログは、もともと大学公認のプロジェクトの一環で始めたものです。「つくばの自転車活用まちづくり活動」(スローハス事業部と名乗っていた)を2006年4月に私がその事業部長になり開始したのですが、最初は、メンバー内で構想を考える、地域の関係者等とお会いして話をするなどして活動を進めていました。そして、9月になって自分のページ内の一部にそのコーナーを作成しました。こちらです。関連資料も掲載しています。いちいち説明するのもめんどくさいので以下を参照してください。

 yassi's web page 自転車

そして、人にお会いするにしても、活動を広くしってもらうには物理的に限界があると感じその限界を突破するために、更新が簡単なブログにて逐次つくばの自転車交通事情や構想、経過などを発表していこうということで、ブログを開設しました。

 つくば自転車事情

なにしろ初めてブログを持ったものですから、正直言うと過剰なくらいに期待を持ちました。「強力な情報発信ツールを持った。今まで、知る由もなかった方々にも伝えていくことができる。地域で活躍している人ともつながる可能性が高まる。その分野で専門家、活動家として活躍できる。」と。そうもこうもあって、最初はつくばの自転車事情だけでなく、自転車交通の抱えている問題や都市問題について、かなり一生懸命に考えて書きました。正直に告白しますが、自転車活用の評論家ぶっていました。

まあ、そのプロジェクトも翌年3月にはNPO自転車活用推進研究会と共同でシンポジウムも開催にこぎつけましたし、現在でも自転車マップ作成事業に発展はしていますから一定の成果はあったのですが、個人的には最初の壁にぶち当たりました。

それはというと、コメントも受け付けてさらにメールアドレスまで公開しているにかかわらず、地域の市民団体や他地域でも活躍していらっしゃる方々とブログを通してネットワークを築けるようにはまったく至りませんでした。当時でも、確実に1日数十のアクセスがある。さらに、一時は、当時としてはメチャクチャ多かった100以上ものアクセスを記録すると「さらにブログが広まった。新たな予想もしない展開が生まれるかもしれない。これからが楽しみだ。」とか思っていい気分になっていただけに、かなりガッカリだった。『つくばスタイル』などの雑誌を見て、「つくばには色んな市民団体がまちづくり活動してるのだなぁ。そういう人々ともネットワークを作っていきたい。協力して輪を広げていこう。」と思っていただけに、あまり上手くいかずに一時はやる気をなくしてしまった時期もありました。(2007年の4~6月くらい) これが最初にぶちあたった壁であります。

それで、今度は今も更新中のシリーズ「高知から持続可能な交通を実現する」。もともとは、2007年8月に開催された「県民マニフェスト大会」で上手く伝えることができずに、それを補足する目的で書きはじめたものです。本当は、これまでにも自分が考えた内容を伝える連載をホームページでやろうと計画をしたこともありましたけど、なかなか勇気がなかって踏み出せずにいました。しかし、大会での発表の補足と県知事選挙に便乗すれば波紋が広がる可能性が高いと考えて寝る間も惜しんで書き始めました。最初は「私の考える高知県民マニフェスト」と題して連載していました。

高知ではつくばと違い、土地勘もありますし、大体どこでどのような人々が活躍しているのかも想像がつきますし知り合いもずっと多く、それゆえ情報も探しやすいですから、つくばより遥かに手ごたえは感じてはいます。高知はつくばと違って地域社会も根強くある。しかし、それでもやはり自分としては苦戦していると言わざるを得ない。

何に苦戦しているかと言うとやはりネットワーク拡大、人脈構築に関してです。ブログごときですぐに世の中動かないのは分かりきっています。(むしろ新聞の投書ですが、あれですぐに動いたことにビビッているくらい) それに関しては、すぐに結果につながらなくてもさほど動じることはないです。こうやってネット上で文章化することによって、読んだ人の深層意識の中に残り、それが将来何かのきっかけにつながればそれでいいと思っています。それは、夜須の地域価値の再発見や地域の飲食店紹介に関しても考えは同じです。

シリーズでたびたび出てくる直通運転構想ですが、これまでも自分が言わなくても誰かが構想を出すはずだと信じて昨年まで黙っていました。結構、行政も取り組んでいるようだし、LRTの海外事例も日本で紹介されるようになってきたし、何しろ高知では安芸線の実績もあった。絶対に出てこないとおかしいとすら思っていましたが、何年待っても何も出てこない。それに、画期となるべく施策もなく利用者を回復できてない現実に、がっかりしました。さすがにしびれを切らして本音をブログに書くようになったわけです。

このシリーズは高校生時代よこれまで何年も考えてきた肝いりの構想をブログで発表しただけに、過剰な期待をしてはいました。知事選とかぶっていた最初の頃は、けんちゃんのブログでも何度も紹介され、さらに某BBSでもネタにされ、アクセス数は激増しました。で、ここでも正直に告白しますが、何か思いがけないメールが来るのかと今か今かと待ち構えて来ました。でも、何も来なかったですね(涙)。某BBSで異様なくらいにネタにされていたくらいです。

さらに、htmlで一覧表も作成し過去記事にも参照しやすいような工夫もして、コンタクトを取りやすいようにメールアドレスまで併記しました。確かに、ネットを通じて数人の方とは知り合うことができました。(その一人は土佐ローカリズムちやのナカちゃん) それでも苦戦していると言うのは、やはり本命である方々となかなかネットワークができないことです。政治家や、事業者、行政関係者、県内外の市民団体、メディア関係、その分野の専門家など。ある市民団体のサイトで私のブログがリンクされたりはしているようでうすが、その中の人が直接コンタクトを求めてくるには至っていません。それでも一回すご~く思いがけないメールは来てはいます。 (ナカちゃんもそんなことをブログで書いていたような…。高知県東京事務所が高知県出身者とのつなぎ役として全然機能していないとか…。)

私のブログは単なる日記でもグルメ記事でもない、特定のテーマを定めた専門的かつオリジナルな内容を不定期ながら更新しているという自負はあるだけに、反応が薄いのはやはり悔しい…。限界を感じることも多々あります。なかなかブログで専門的なことを書いていっても世の中にはなかなか認知されないのが現実。まだまだ印刷物の影響力が強いようで、著作を持ってないとその分野で一人前と認められないようです。(=活動が収入にならない。カネが目的ではないけど、1円にもならないのは非常に困る。当たり前だ。) かねてからの『地方都市の自転車生活』も年内にはなんとかしたい。

かといって、ブログをやめるということでは全くありません。「高知から持続可能な交通を実現する」も、持ちネタは尽きることがないのでエントリを今後も順次増やしていきます。

最後に、誰か本当はコメントを書こうと思っていた方、メールを出そうと思っていた方がいらしゃっれば、この機会に是非ともお願いします。熱いメッセージ・アドバイスを望む!

あと、某BBSで「ここでも議論しようよ」と言う方がいますが、あなた方との議論をなはから拒否するつもりは全くないです。時々、別の板(商店街とか)も含め、参考にはさせていただいております。ただし、議論をしたければ匿名でなくて、ちゃんと素性を明かしていただけないでしょうか。いつも投稿して来る方、せめてご年齢とご職業だけでもいいですから明かしてください。そうすれば、その返信を直接掲示板に書き込むことはしませんが、ブログ記事にて返事はいたしますので。

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「高知の湘南 夜須町」 <第七弾>

このシリーズですが一応総括いたしましょうか。本当は、また後ほど手結港と手結の街並みについて詳しく紹介はしますが。

※画像はすべてクリックで拡大できます。

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これは上空から見た香南市夜須町の姿です。夜須川の両側に発達した平野は、三方を山に囲まれていまして鎌倉のような地形をしています。その東側は、丘陵地帯でありまして、斜面に段々畑が多く見られるのが特徴です。海岸線が突き出ている部分が手結岬で険しい地形になっていまして、その周辺は主に磯浜です。

何はともあれ、夜須の海の魅力は「多種多様な海岸地形がわずか東西3kmの間にある」ということでしょう。おさらいがてらに、変化に富む光景をもう一度、ここでアップします。ただし、説明は省略します。

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月見山より。

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手結新外港付近。背後の山は霊峰大峰山(標高約200m)。

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歴史的港湾手結港。

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マリーナ中止で致命的な自然破壊を回避できた、周辺にはテーブル珊瑚が発達する大手の浜。

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手結岬付近。

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塩谷海岸の磯浜。

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手結山塩谷地区付近の丘陵地帯。

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手結山住吉地区の漁村集落。

こうして見ると、夜須の海はやはり湘南と重なってくるところが多くあります。

 ヤ・シィパーク ⇒ 鵠沼海岸、湘南海岸公園

 夜須川沿いの平野 ⇒ 鎌倉

 ごめん・なはり線 ⇒ 江ノ島電鉄

 旧手結海水浴場のヨット基地 ⇒ 江ノ島のマリーナ

 手結の漁村集落 ⇒ 油壺?

 手結山の磯浜・丘陵地帯 ⇒ 葉山

 住吉の漁村集落 ⇒ 逗子

と、ちょっとこじつけかもしれませんが対応して考えてみました。

さらに、芸西村まで含めてしまうこともできそうです。芸西村の海岸は東西に琴ヶ浜という風光明媚な浜辺が広がっており、海岸線に沿って松林が防風林として立派に残っています。そして、芸西村は比較的平坦で背後にはそこそこ平野が広がっています。

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そうすると、琴ヶ浜 ⇒ 辻堂、平塚付近の海岸線と考えてよさそうです。

また、赤岡町も歴史があり香南地域の中心地でありましたので、こちらも伝統と文化の面で鎌倉と認定いたしましょう。夜須も古代よりの歴史があり。決して優劣つけられるものではありませんが。

写真は、これまで帰省するたびに撮りためてきたものの一部を掲載しています。しかし、こうやってブログにアップしていると、「ここの写真を撮っておけばよかった」とか「ここからこういうアングルで撮ったら、またこの時間帯に撮ったらもっと魅力が伝わるのでは」とか、考えてきます。手結山地区は地形の変化に富むため、撮影スポットは無数にあります。

本来は、夜須町在住の方々が夜須の魅力を掘り出して行ってもっとブログなどで発信してもらいたいものですが…。

他のサイトでも、夜須の写真をアップされていますので、そちらもご覧ください。

 夜須町・手結海岸の写真

 高知県夜須町から見た太平洋

 国民宿舎海風荘近隣からの眺望写真

 はるばるお出掛けスィーツ、そして青い海
 (高知のモノ・コト・ヒトカタログ)

次回からは、海岸部を離れ内陸部を紹介いたします。こらからもよろしくお願いしますね。

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「高知の湘南 夜須町」 <第六弾>

今回は、手結山住吉地区について取り上げます。住吉地区は夜須町では東端に位置し、夜須や手結の街とは手結岬で隔てられています。そのため、半ば孤立したような形の集落ですが、こちらも手結地区にも全く劣らないロケーションです。

※画像はすべてクリックで拡大可能です。

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毎度お馴染み、大峰山の林道より撮影したものですが、手結山地区は地名のとおり山で全体的に丘陵地帯で、住吉地区は狭い海岸部の平地に集落を形成しています。右端の建物は旧手結山観光ホテルの残骸(東半分は撤去していない)と、その後継のリゾートホテル海辺の果樹園です。

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住吉の集落を少し高い場所より俯瞰したものです。こじんまりとした漁村集落です。

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集落のすぐ南側は漁港です。もともとは入り江の砂浜でした。手結地区はもともと湾入地形で、古くから港として使われていたのとは対照的です。かつては漁船を砂浜に引き揚げて繋留していました。

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昼下がりの住吉漁港。時間がゆっくりと過ぎていきます。

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繋留されている漁船は小型船が中心ですが、こちらの方が手結地区よりも現役の漁師が多いです。少し奥の丘陵地帯には住宅が立ち並んでいますが、見晴らしはどうでしょうか。

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漁船が港に帰ってきました。漁港を出入りする漁船はなかなかシブイですね。

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住吉地区の街並みです。古民家もそれなりに残っており落ち着いた佇まいです。左の民家は、築80年の酒屋を改装した喫茶店「rue cafe」です。

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前出の写真の反対側です。視界の先にはホテルが見えますが、旧観光ホテルの残骸はすでに廃墟同然…。

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住吉の集落より見た海の風景です。ここから見る海もすごくキレイですよ!

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黄昏時の住吉漁港。郷愁を誘う光景(?)ですね。

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同じく黄昏時。住吉漁港より少し西側ですが、こちらは磯浜海岸が残っています。住吉海岸はかつては景勝地として有名でした。夏になると安芸線の電車で多くの人がやってきていたとか。

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住吉神社前にある「震洋隊慰霊碑」。戦争は終わったはずの、1945年8月16日に悲劇が起きました。詳しくはこちらのサイトをご参照ください。

 震洋特別攻撃隊/手結基地

住吉海岸についての、当ブログでの過去記事はこちら。

 お盆休みの住吉海岸(8月12日)

手結山地区の丘陵地帯は、以前に湘南では葉山だ逗子だと言いましたが、まさに住吉の集落は逗子のミニ版と思えてきました。逗子も山に囲まれていて平地は弓状の海岸線に沿ってわずかしかありません。JR横須賀線と海岸部の間の狭い場所に街を形成していますが、住吉もそれに近いです。人口が全然違いますが…。しかも住吉もかつては電車の線路と海岸線に集落が挟まれた形になっていました。駅も土佐住吉駅がありましたし。現在のごめん・なはり線はトンネルで短絡していますので、住吉からは全くその気配がないです。

夜須の海についての記事は、もう一記事アップする予定でいます。その後は、いよいよ内陸部について紹介していきます。

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「ムーンライトながら」の廃止があまり望ましくないと考える理由

 もうすでに、あちこちで話題になっている、「ムーンライトながら」廃止問題。今年度末で定期列車の運用を終了し、多客時にのみ臨時列車のみの運用になるとか。

 夜行「ムーンライトながら」臨時化へ 18きっぷで人気

 廃止の大きな理由がやはり「利用者減」だそうだ。21世紀に入ってから多数のブルートレインが廃止されたが、ついにここまで来たかという感じだ。しかし、この現象はあまり望ましくないことだと考える。

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(ムーンライトながらに使用される373系電車 ※Wikipediaより)

 今から書くことは、鉄道原理主義とか全体主義とか叩かれるかもしれないが、敢えて自分の本音を書こう。ただ、はじめに断っておくけど残せと言う理由において「旅情がなくなるとか」、「鉄道文化の衰退」とかいう感情的なことは一切抜きで。

 私も、このムーンライトながら、実は幾度となく利用しており、個人的には大変便利な列車だと思ってはいる。

 最初に使ったのは2002年11月、サイクリング部の秋合宿でスタート地点の大垣まで移動した時だ。18きっぷのシーズンでないので正規運賃で5人分の指定券も1日前だったが余裕で取れた。

 次が、定期でなく臨時の大垣夜行であるが、乗ったのは2002年12月24日。高知へ帰省するためだ。クリスマスイブの日なのではっきり覚えている。自由席なので2時間前から品川駅臨時ホームで陣取っていた。167系に乗ったのは、これが最初で最後だったな。

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(大垣夜行の165系・167系電車 2002年12月24日撮影)

 その次が、2003年3月。九州の湯布院出発のサイクリング部春合宿に行くためだが、18きっぷシーズンなので指定券は満席で取れず。仕方なく、一部自由席になる小田原で並ぶ。余談だが、この時は寄り道で引退するクモハ42ににも乗ったな。しかも、宇部駅付近で野宿したっけ。

 またその次が、2003年7月終わり。帰省するためであるが、その後も幾度となく帰省のために使う。周りからはただの物好きと思われているが、高い飛行機なんかに乗るカネなどないし、新幹線+南風でも高くつく。夜行高速バスは、確かに安いけどそれでも往復で2万円以上かかるし、そもそも夜行バスは嫌い。それで、18きっぷなら5回分11500円で、高知との往復で2、3回使っても残りが2、3回なわけでそれを別なことにも使える。本当に、素晴らしい切符だと思うよ。

 現代では、こうやって普通列車で関東地方と四国を移動するなど変態じみた行動に見えるかもしれないが、30年以上前に学生だった方々の話を聞くと、関西はもちろん関東からも普通列車で帰省するのがごく当たり前だったみたいだ。飛行機なんか論外で、新幹線も高くてとても乗れなかったとか。現在は、18きっぷという便利なきっぷもあるし、関西地方ではムチャクチャ速い新快速があり、瀬戸大橋もある。かつては、宇高連絡線で瀬戸内海を渡っていたことを考えると隔世の感だろう。ただ、当時はもっと長距離鈍行とかあって乗換えは少なかったかもしれないけど。移動時間の無駄というご指摘もあろうが、基本的に読書タイムにするか眠い場合は寝ているかどっちかだ。

 まあ、この列車18きっぷシーズンには、なかなか指定席が取れない。183系・189系使用の臨時便も同様にすぐ10両分が満席になるみたい。予定が決まった頃に取ろうと思ってもまず無理だ。以前は、小田原から一部が自由席になっていたのでそこから乗れば、運がよければ座れるかもという状況であった。下の写真は、静岡→浜松間での車内の様子だが、2007年3月の全車指定席化されるまではこのような状況が当たり前だった。まあ、その後も指定券を持たずに強行突破するヤツが後を絶たないそうだけど…。

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(ムーンライトながら車内の様子 静岡→浜松 2005年8月7日)

 しかし、一方で18きっぷが使えないオフシーズン時はというと。見事にガラガラだ。何度か正規運賃で乗車したことがあるが、指定券は乗車直前でも余裕で入手可能で、実際下り列車で平塚付近で1両に約10名ほど。さすがに「これで採算取れるのか?」と思ってしまう。むしろ、最も旅客需要が多い関東~中京~関西を結ぶ運行でありながらこの状況が不思議に感じるくらいだ。18シーズンはみんなそれで乗るので収益性が悪い、それ以外はガラガラとなれば確かに廃止やむなしということになってしまう。あるブログなんかではすでに使命を終えたとまで書かれている。

 いや、ここから本題になろうが、私はブルートレインも含め夜行列車廃止の風潮はあまり望ましくないことだと考えている。大いなる交通政策の失敗だと思っているからだ。

 確かに、これだけ新幹線や航空機、そして格安ビジネスホテルが普及した今、夜中に乗り物の中で過ごすことは憚られる風潮がある。リーズナブルに移動するなら高速バスだってある。そんな中、敢えて夜行列車を存続させる理由などないというのが大方の意見だろう。

 とはいえ、現在の夜行バスや航空機などを含めての公共交通状況がエネルギー消費や安全性、労働問題などの観点からあまりよろしくないと考える理由を述べていく。あまりにも偏った論理だといわれかねないが敢えて言おう。

 まず、夜行高速バスであるが、これまた大量に運行されている。それだけ、安く移動したいというニーズがあるわけだ。JR東海はどうしても新幹線にだけ乗せたいような感じであるが、ムーンライト廃止したところでその乗客のほとんどは新幹線に乗らないだろう。安さだけでなく、そっちの方が便利だという事情もあったからである。ムーンライトながらの上りは、東京駅到着時刻が4時42分だった頃は、東京駅から始発の総武線成田空港行きに、上野駅から東北本線と常磐線の始発列車に乗ることができた。こういうニーズがあることを尊重する前提で話は進める。

 とりあえず、関東~関西間を例に取り、時刻表で調べてみたが、関東の発着地で大宮、千葉、池袋、新宿、渋谷、東京、立川、横浜で、関西の発着地で大津、京都、奈良、王寺、大阪、和歌山、神戸、姫路などを結ぶ夜行便を調べてみたら、なんと約55便も運行されている。それそすべて独立3列シートとしたら1台あたり約30名の定員になるので、全体では1650名程度か。

 だとしたら、もしオール2階建ての215系で、東京~大阪間などを夜行快速列車で運行するとすれば、211系やE231系などの2階建てグリーン車の定員は約90名なので、10両編成では、3列グリーン車を用意することやトイレ・洗面所などのスペースを鑑みると、800名くらいになるだろう。バスの代替をするには2往復出したら十分である。ただ、215系の場合は4本しかないので予備車両がないけど…。快速であるので、当然、主要駅には止まって行くので、それらの夜行バスの運行を肩代わりすることは理論上は可能である。はっきり言って、大量のバスが毎夜高速道路を別個に長距離別走るのは効率が悪すぎる。エネルギー消費削減、CO2排出削減を推進するならば、バスでなく列車でまとめて運行するのが望ましいのではないか。私見では、関東~関西ならば寝台列車の「銀河」も復活(ただし、サンライズ方式で)し、夜行快速も大宮~新宿~大阪~姫路と千葉~東京~西九条~天王寺~和歌山あたりの2往復体制で運行すべきだと思う。

 また、東京~静岡・浜松などの昼行便の高速バスもあるが、こんなのは本来不要だ。東京~静岡を普通列車で乗り通しても運賃・所要時間もほぼ同じである。グリーン車付きの編成を東京から浜松まで直通させればいい話だが、熱海でほとんど分断されるようになったのは明らかに分割民営化の弊害であろう。

 高速バスは定時制に難があるのも大きな欠点だ。たいていは余裕時間を見込んでいるのでそう遅れはしないが、一旦事故渋滞や年末年始などの大渋滞に巻き込まれたら大幅に遅れてしまう。時間が読めないのは致命的な欠点であろう。その点、列車であれば定時性はバスより遥かに高いので安心だ。

 そして、高速バスは列車に比べて安全性が大幅に劣る。列車の場合は、もともとレールの上を走っているし、ATSなどの保安装置もあるので安全性は高い。そういうと福知山線脱線事故が起きたではないかと突っ込むやつが必ずいるのだが、あれは運行速度が上がったに関わらず旧態依然の保安システム(速照が未設置だった)のため運転士のミス(無理な回復運転)をカバーできなかったからだ。会社の体質そのものも批判対象になったけど。話がそれた。バスの場合は何ら安全装置がないため、運転手がちょっとでもミスしたら即事故につながる。

 さらに、大量の夜行バスが運行されているということは、それだけ夜間労働者が多くなるということでもある。それもかなり集中力を要する労働だ。夜間勤務をせざるを得ない人が増えるような社会はあまりよくない。コンビニやファミレス、ガソリンスタンドなどの24時間営業は削減すべきだと思っているが、夜行移動手段は乗客として使い勝手が大変いいのである程度の充実は求められる。鉄道であれば、少ない人員で多くの乗客を運べるので、夜間労働者削減の観点から言うとよりベターでないか。

 もう一つ、夜行バスはシートはいいが寝づらい。それで寝れなかったら本当につらい。真っ暗な狭い空間の中でただ、じーっとするしかない。それがどれだけ退屈なことか。あの特有の走行音と振動のおかげでなかなか寝付けないという人が結構いるようだ。反面、列車の場合は、安定した走行であるし、揺れても心地いい揺れであるので意外と寝付きやすい。もし寝れなくても、音楽聴きながら車窓を眺める、トイレがてら車内を歩く、デッキでボーっとするなど可能だ。同じ座席仕様であっても列車の夜行はまだマシだが、夜行バスは絶えられんという話はよく聞く。

 さらに酷いのが高速バスまがいのツアーバスの台頭だ。価格競争が働き低価格を実現できているが、その裏には零細観光バス業者などへの搾取の上で成り立っているようである。

 北杜の窓 NHKスペシャル「高速ツアーバス価格競争の裏で」

 聞くと、運転手は関西~関東を夜行3往復連続乗務とかいう狂気沙汰の世界だ。それでいて給料がいいわけでない。新手のワーキングプアではないか。バスもじっくり整備する余裕もないとか。こんなんで事故が起きない方がおかしい。どうも正規の高速バスよりも運転が荒いと聞くしね。もし、一度でも「ツアーバス 運転手居眠りで高速道路から転落、○○名死亡…」とでもなれば、元の旅行会社ですら経営が危うくなるというのに…。はっきり言って○ィラーなど最低最悪の企業だと思う。確かに、びっくりするくらい安いがこんなんで良質なサービスを提供するにはハナから無理がある。一見、上手く言っているようでもどっかでいつかボロが出るのは確実。運転手の健康や家庭生活が犠牲になっているし、乗客が事故により犠牲になる可能性だって高い。よって、いくら安くてもこんなものには乗ろうという気はしない。

 そもそも、なぜこれだけの大量の高速バスや擬似高速バスが運行されながら夜行列車が削減・臨時化されなければならないのか。普通に考えたら、逆だろうがと思う。列車こそ定期運行で、繁忙期のさばききれない時に適宜、増発バスを出すのが本来のあり方でないか。

 色々書いてきたが、諸悪の根源の一つは運輸業にまで市場原理を適用しすぎたことだ。小泉政権以後に何でも規制緩和することがいいんだみたいな風潮になったが、これを運輸業に適用したのは大きな間違い。昨今のツアーバス台頭を代表にカオスな状況を生んでしまったが、これはかえって利用者には分かりづらくなったんではないだろうか。それに、環境負荷を増加させる方向に流れているのも京都議定書達成の面から完全に逆行している。安全面や労働環境もないがしろにされているのも問題だ。

 全体主義者と叩かれる覚悟であるが、こういうのは「公」がもっと介入して相互調整するべきだ。ドイツは鉄道と競合する高速バスは開設できないそうだが、資源の無駄遣いを減らすなら日本も原則そうすべきと思う。もちろん、エセ高速バスは真っ先に撲滅させる必要がある。航空便であっても新幹線で3時間以内に到達できる場合なら運行許可を出すべきでない。羽田~伊丹、伊丹~福岡なんか本来は不要だ。そこまで言わなくても早朝便以外はいらない。こんなに細かく運行に介入すると権力による民間への過剰な圧力だと思うかもしれないが、あくまでも利用者にとって望ましい交通システムを実現するためである。LRTなどの地域交通であっても上手くいっている事例では、運輸連盟を組織してバスなどとのダイヤ連携や共通運賃制度、P&R駐車場の確保など、原則「公」が強力に介入していることからしても、望ましい公共交通システムは、盲目的な自由主義、市場原理では達成し得ない。むしろ社会主義的なやり方の方があっているとすら思う。ただ、官僚や政治家が無私無欲の精神を持たんとこんな奇麗事は通用しないのだが…。

 もう一つは、国鉄分割民営化による弊害。会社間を跨ぐ列車をあまり運行したがらなくなってしまった。連続したネットワークを持ちながらそれを活用できないのは、あまりにももったいなさすぎる…。国民福祉の向上とモーダルシフトを推進する目的で再び再国有化することも検討されるべきではないだろうかとすら思う。そこまで行かなくてもJR各社を1社にまとめるとか。いずれにせよ、あまりにもグロテスクに膨れ上がった車社会を是正することは21世紀前半の大きな課題と言ってよい。その上で鉄道ネットワークが最重要な役割を担うことは間違いない。

 とりあえず、私の考えは、最初にエセ高速バスを撲滅し、高速バスも夜行快速や寝台列車に計画的にシフトして本数を削減。近距離航空便も、基本は新幹線に、一部は夜行列車等に計画的シフトを促す。今ある寝台列車の中でも、乗車自体が目的の「トワイライト」「カシオペア」「北斗星」以外は、到達時間短縮のためにもサンライズ式の電車に置き換えるのが望ましい。そして、「銀河」「なは」「あかつき」「はくつる」などは、復活させるような方向に持っていくようにしたい。ただどう考えても、今現在運行されている「富士」「はやぶさ」だけは運行距離からして九州から東京へはビジネスなどに使えるダイヤは組めそうにないが…。そして、関東~関西の夜行快速を2往復体制で走らせるのを代表に、リーズナブルな座席夜行快速もそれなりに充実させるものとする。

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(サンライズ瀬戸・出雲 東京駅にて2006年7月27日撮影)

 最後に勝手な妄想を書かせていただく。土讃線は電化という前提にまでしてしまったけど…。四国の場合でも、サンライズ瀬戸の高松発着だけでなく、夜行バスに代わる松山・高知~東京の寝台特急運行やムーンライト松山・高知も定期運行に昇格させるのが望ましい。松山・高知発着の寝台特急の方は、新型の5両編成の電車編成で。ちなみに現行のサンライズ285系は、一方は広島または新山口発着にして岡山でサンライズ瀬戸と併合して運行し、サンライズ出雲は、5両編成の新型車両に変更して、サンライズ伊予・土佐(?)と岡山でくっつけて15両編成で東京まで運行すると想定。ちなみに、高速バスのドリーム号などは一切なしで。その新型車両は、両端2両を電動車にして特急料金だけで乗れるゴロ寝シートを設け、中間3両は各種寝台を設けるものとする。これを交直両用で製造したら、今後の寝台列車の標準型にできるのではないかと思うがどうだろうか。そして、ムーンライト松山・高知の方は、2000系気動車の後継となろう振り子電車9000系(勝手に形式名まで決めてしまった)で運行することにする。ちなみにこの9000系の仕様まで勝手に想定してしまうけど、373系やキハ185系のように汎用性を高めるために2両固定の4列シートモノクラス編成オンリーで。だだし、内装や座席の質をグリーン車並に向上。性能は、起動加速度4.0くらいで最高運転速度は160km/hも可能とする(琴平~阿波池田などのトンネル新線や桜三里線などを将来建設することを想定して)。通常は、しおかぜや南風などで使用するが、ムーンライト運用も受け持つと想定。ムーンライトの場合は振り子があるので京都に着いた後、また四国へ折り返す間紀勢本線の特急にも使えて合理的なんだが…。それまでは余剰が出ればキハ185系によるムーンライト運用でもいいんだが。

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「高知の湘南 夜須町」 <第五弾>

今回は再びヤ・シィパークと行きましょうか。

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(画像は拡大可能です)

ヤ・シィパークは手結海水浴場の後を引き継いで2002年に全面開業しました。写真で見ての通り人工海浜です。鉄道駅も道の駅も併設された多くの人が集まるスポットです。

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3枚の写真はいずれも2007年12月に撮影したものです。椰子の木は高知駅前の名物だったワシントン椰子を持ってきました。

海水浴だけでなくボードウォークでウォーキングしたり、マラソンしたり、食事したりただボーッとしたりと、とにかくステキな所です。前の手結海水浴場も自然の砂浜で古臭くも由緒正しい海水浴場という感じでよかったですけど、道路とヨットハーバーを造ったおかげで狭くなってしまいました。そっちはそっちで手をつけずに残してもらいたかったけどね。

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局長のブログ ヤ・シィパークの黄昏より)

黄昏時の様子です。局長さんのブログにあるように毎朝このような景色を見れるってとてもシアワセなことかも…。

小学校時代、朝のラジオ体操は旧手結海水浴場の駐車場の一画に集まってやっていました。朝の6時半、海水浴シーズンですが誰もいない静かな時です。そんな時のすがすがしい朝日と風とともに眺める海はいい思い出ですね。

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YASUらぎの町 海辺を守る下水道より 画像は拡大可能です)

旧手結海水浴場の様子です。大正末期に安芸線が手結駅まで開通した時に開業しました。それ以降、約75年に及び夏の行楽地としての地位を確立してきました。そのため、夜須より手結の方がずっと有名でした。この頃は、料亭の「かね三」もあり、シンボルだった赤灯台(写真の堤防に写っている灯台)もすぐ近くにありました。黄昏時の風景は今のヤ・シィパークに引けをとらなかったです。

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「高知の湘南 夜須町」 <第四弾>

「高知の湘南 夜須町」シリーズ久々の更新、ついに第四弾に入ります。

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(画像は拡大可能です)

西山の八幡様の裏側にある岡の上から見た景色です。ここは地元の人もなかなか知らないと思う穴場の眺望点です。やっぱり夜須の海は美しいです。

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(画像は拡大可能です)

同じ場所からです。夜須の平野にはビニールハウスが広がっていまして高知の園芸地帯としての地位を確立しています。ただ、ビニールハウスも化学肥料もボイラーも石油資源を使うので資源多消費型農業ではありますが…。

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局長のブログ 羽尾の長谷寺を訪ねてより)

夜須の最も山奥の集落「羽尾(はお)」の近くにある長谷寺付近からの景色です。羽尾は夜須川と違う水系で細い山道を登って峠を越えなければなりません。標高は350mの小さい盆地にある集落ですが、現在はほとんど人がいません。昔は小学校もありましたが昭和54年に廃校になりました。追々、羽尾についても紹介していきたいと思います。まさに絶景、大パノラマですよ!

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(画像は拡大可能です)

お馴染み大峰山の林道より。漁港のある集落は住吉地区です。こじんまりとした風情のある街並みです。本当に色んな場所から海を見ることができるのが夜須の魅力だと思いますね。

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(画像は拡大可能です)

2008年元旦の朝に初日の出を拝んだ際に撮影。同じく林道より。

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(画像は拡大可能です)

同じく2008年元旦の朝に同じ場所より、香南市野市方面を望む。この日は四国山地の山々は雪化粧していました。

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(画像は拡大可能です)

こちらも2008年元旦に撮影。下の港は手結外港で向こう岸は赤岡町です。気温が低いのか海面からは湯気(?)が立っていました。

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2008年元旦朝の手結内港です。

まだまだ、続きますね。

地元在住や出身者の方々こそもっと夜須の価値や魅力を再発見して欲しいと切に願います。

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