高知の湘南 「夜須町」 <第二弾>

久しぶりに、香南市夜須町シリーズでも行きますか。以前書いた大特集! 「高知の湘南 夜須町」の続編です。今回も、海岸線を中心に様々な風景を紹介していきます。

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おなじみの月見山公園からの眺めです。

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香我美町岸本の海岸より手結岬方面をのぞむ。冬に撮影したに関わらず夏のようです。自分がとった写真の中でも最もお気に入り。

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沖合いにはヨットが数艇たたずんでいます。その向こうは水平線。

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ヤシィパークには、数多くの椰子の木が植えられています。

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夏場は多くの人手で賑わいます。ヤシィパークは常に人気が高いスポットになりました。

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石積み護岸の日本最古の掘込港、手結港。手結港そのものと周辺の家並みで、独特の景観を形作っています。こういうものはもっと評価されてもいいですね。

《参考》
ALL-A: 手結港  手結港可動橋
夜須町手結港
手結港写真集 (私のサイト)
映画「南風=まぜ」の舞台「手結港」-1 映画「南風=まぜ」の舞台「手結港」-2 (気ままにブログ)
24 手結港(ていこう)

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漁船と港の周りを取り巻く民家。まさに美しい日本の原風景を見ているかのようです。それは言い過ぎかも…。

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こちらは、上の写真の外側にある手結外港です。大正初期に川村益太郎氏の尽力により整備され近代化に貢献しました。その向こうは、旧手結海水浴場です。

さらに続きます。

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高知から持続可能な交通を実現する(56) 「再検討:大変健闘しているごめん・なはり線」

 高知から持続可能な交通を実現する(55)の続きで、ごめん・なはり線の健闘ぶりについて、再検討しよう。再検討する記事はこちら、

  高知から持続可能な交通を実現する(53)

 ご指摘の内容について、逐次回答する形で進めていく。

>統計の元データはなに?

 出典や、輸送人員の単位は一年間なのか1ヶ月あたりなのか1日あたりなのか分からないというご指摘であるが、まず、出典は、高知県交通政課でいただいた「土佐くろしお鉄道(株)の会社概要」による。A3プリント1枚に、輸送人員や経営状況、職員数の推移、主要役員などのデータが収められている。そして、輸送人員に関しては「一年間」である。どちらも抜かったのは、私が「データなど会社発表にしろ国交省のデータにせよ、基本的に1種類しかないはずだし、年間の輸送人員なのは明らかだ。書くまでもない。」と思ったことによる。たたし、そうではいけないようだ。今後、気をつけなければならない。

 ということで、グラフを書き直した。

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(ごめん・なはり線年間輸送人員の推移 ※画像は拡大可能)

>統計の読み方が杜撰

 これも、おっしゃる通りである。「2002年度が7月開業と書いているので9ヶ月間であるのは明らか。そこは、読者が判断すればいい。」と思って、9ヶ月間と12ヶ月間のデータを注意書きもなしに比べて書いてしまった。考えが浅はかだったと言わざるを得ない。そのため、平成15年度以降を対象に比較してみた。

 全体の輸送人員は、平成18年(2006年)度で約118万人。平成15年(2003年)度には約96万人であったから約1.23倍の増加である。

 通学定期の利用に関しては、平成15年(2003年)度には約38万人であったものが、平成18年(2006年)度には54万人にまでと約1.43倍に増加している。これに関しても鋭いご指摘があるので、後述する。

 通勤定期客もわずかながら増加傾向にある。平成15年(2003年)度には、約13万人であったが、平成18年(2006年)度は、約18万人と約1.38倍の増加を見せた。ただし、絶対数としては約5万人の増加であり、通学定期客ほどではない。

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(夜須~西分 雪景色の中を走る9640形2両編成)

>なぜ通学定期利用者が増えたのか考えた形跡がない

 ご指摘の通り、高校入学者数が減少する中で、通学定期利用者数が増加するとは異常事態だ。それも、3年間で1.43倍だ。当然、疑問に思うはずだが、だいたいの理由を知っていたので、ちゃんと言及してなかった。

 まず、平行して運行される安芸線バスから徐々に転移したと思われる。安芸線バスは、開業と同時に運賃をほぼ同額にした。それは、関係者にとっては予想外の出来事で心底驚いたとか。結果として、なはり線開業1ヶ月たってもバスの乗客数は1割減となかなかの健闘ぶりであった。なはり線開業前だから、当然、なはり線以外の手段で通学していた。それは、他の利用者も含めて半ば慣習と化しているので、運賃が同額になるなら、別にすぐに乗り換える必然性が感じられないのも当然だ。

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(安芸線のバス 後免町駅)

 実際、知っている人の話だが、開業時は高校2年生で手結バス停から安芸線バスに乗って高知市内の追手前高校に通学していた。バスの行方は気になっていたようだが、定期券も同額になると分かると、そのままバス利用を続けることになった。なはり線利用だと高知駅からが不便だということも大きな理由である。自転車置いておくにしても学校の手続きが面倒であるとも言っていた。卒業までバス通学を続けたのは言うまでもない。

 開業した平成14年(2002年)度は、中途半端に7月1日開業ということもあっていわば序幕であったのだろう。翌年の平成15年(2003年)度からが本番とも言える。高校生の開業前と開業後の入学について分かりやすく下に示してみよう。

 <平成14年(2002年)度>
 高校1年生: 開業前入学
 高校2年生: 開業前入学
 高校3年生: 開業前入学

 <平成15年(2003年)度>
 
高校1年生: 開業後入学
 高校2年生: 開業前入学
 高校3年生: 開業前入学

 <平成16年(2004年)度>
 
高校1年生: 開業後入学
 高校2年生: 開業後入学

 高校3年生: 開業前入学

 <平成17年(2005年)度>
 
高校1年生: 開業後入学
 高校2年生: 開業後入学
 高校3年生: 開業後入学

  高知新聞の記事は、初年度の状況として、「通勤、通学など定期利用者は24万6360人(同37・9%)と伸びておらず、今後の課題だ。」と伝えているが、これはある意味当然かもしれない。年度の途中で開業したのだから、高校生全員が開業前の入学である。すでに、既存の交通手段で通学が成立していたのだから、なはり線にわざわざ乗ろうという動機付けは薄いと思われる。特に、当時高校3年生であった方々は、卒業までそれほどない。物好きでない限りわざわざ変更することもないと思われる。

 当初の予想では、平成14年度で定期客65万人を見込んでいたらしいが、安芸線バスがさほど値下げをしないという前提に立っていたものと思われる。もし、値下げを決断してなかったら、確かに予想通りとはいかなくてもかなりの定期客を確保していたはずである。

 平成15年(2003年)度に入って、初めて入学時からごめん・なはり線が存在するという層が現れる。この層がどういう交通手段を選択をしたのか、詳しく調べてみる必要がありそうだ。また、年度が変わって上に上がった高校2年生や3年生がどういう選択をしたのかも興味が尽きない。

 平成16年(2004年)度になると、開業前入学は、開業年度に入学していた高校3年生のみ。翌年度の平成17年(2005年)度には、完全に世代交代。これ以降は、完全にごめん・なはり線世代である。

 グラフを見ると、確かにこれと関連した傾向が読み取れる。平成15年度から、平成17年度にかけての通学定期客の増加傾向は、傾き(増加率)がほぼ一定。これは、開業後入学世代が一つ増えると、通学客も増えている。完全に、なはり線世代になったためか平成17年(2005)度から平成18年(2006)度には、増加は微増にとどまっている。

 これらのことから、なはり線開業後入学する世代は、安芸線バスや高知東部交通バスよりもなはり線を選択しているものと考えられる。

 また、香南市野市地区などから高知市内などの高校に通学する場合は、開業前は、土佐山田駅や後免駅に自転車やマイカー送迎でアクセスしていた生徒もかなりいたと思う。安芸線バスがあるが、かなり高いので、安価なJR利用者がかなりいた。開業後は、定期運賃もバス時代より安くなったこともあり、直接のいち駅からの利用者がほとんどになったと思われる。実際、ラッシュ時ののいち駅の乗降客には目を見張るものがある。

 それに、夜須町であっても南国市の農業高校や東工業高、そして安芸市の安芸高に自転車で通っていた同級生もいた。特に、安芸の場合サイクリングロードが整備されているので快適に走れるし。でも、バス時代よりも安くて速いなはり線が出来てからは、そちらの利用にシフトしていったのだろう。

 通学環境の変化。なはり線が出来てから開業前と比べて大きな変化とは、高速化と運賃低下である。それらにより、より遠くの高校まで通学可能となった。例えば、朝に安芸方面へ快速が立て続けに3本運行されているが、それにより南国市や香南市野市地区からも安芸市へ通勤・通学が楽に出来る。特に、マイカーをもてない高校生にとっては非常にエポックメイキングな出来事である。これも重要な視点と考えれるが、実際どれくらい変化したのか把握しずらい。今後の、検討課題であるだろう。

>1億円近い赤字(経常損益)が出ているのに……

 「赤字が出ているのに健闘しているのか」というご指摘である。確かに赤字である以上、大健闘とは言えないかもしれない。ただ、初年度は、約5700万円の赤字を予想していたが、実際には1200万円の黒字であった。これは要するに、予定より約6900万円多く稼いだということだ。初年度の予想は、定期外客は44万1000人を見込んでいたが、実際には54万2332人の実績で、計画比の123%。一方で、定期客は、65万人を見込んでいたが、実際は24万1360人の実績で、計画比のわずか37.9%。合計では、78万8692人であったが、109万1000人を予想していたため、計画比の72.3%にとどまった。定期外客は、開業ブームもあり予想以上、定期客は低迷と言ったところか。それでも、収益では予想を覆して黒字になったのだから出だしは、健闘と言えようか。

 平成15年(2003年)度は、本来1億8000万円の赤字を見込んでいたが、実際には約1億200万円の赤字であった。そういう意味では予想以上の健闘とも言えなくもない。ただし、輸送人員に関しては、開業時に計画した平成15年(2003年)度以降の年間輸送人員145万人に全然届かぬ96万4394人であった。それは、平成18年(2006年)度の約118万人ですら到達していない。

 しかも、乗客数が増えているに関わらず、赤字額は減っていない。乗客数が一気に16万人増加した平成16年(2004年)度から17年(2005年)度にかけては、赤字が解消してもおかしくないのに、約8674万円から約7592万円と約1000万円減少したに過ぎない。どこかで、経費が増加したと考えるのが妥当なところだが、何かの償却の絡みもあるかもしれない。

 とはいえ、安芸線バス時代よりも明らかに多くの人々に利用されているのは間違いない。特に、定期外客に関してはその傾向が読み取れる。バスはスピードが遅い上にダイヤの信頼性も乏しく、乗り心地があまりよくなかった。バスは敬遠していたが、鉄道なら利用すると言う沿線住民もかなりいるのではないだろうか?

 加えて、たとえ鉄道事業そのものが赤字であっても、沿線活性化を含めて考えるとそれを補っても余りあるメリットを生み出しているのではないかと思う。高知新聞のバックナンバーを読んでも分かるが、駅の物産館の売上はかなり好調であったそうだ。そういうことや、そのその他外部効果(渋滞軽減、環境負荷低減、時間短縮などの効果)を全部加味すると、本当は黒字であるのでないか。それをどうやって回収するかという問題はまた別であるが…。

 そして、ごめん・なはり線は、美しい車窓も相まって全国の鉄道路線の中ではかなり人気がある方でである。この路線の存在により、高知県東部地方もより認知されるようになった。これは地域の大きな財産である。

Yasunishibun1
(琴ヶ浜付近 美しい車窓風景を楽しめるのも特徴)

 ここまで、長々と書いてきたがより詳しく調べるには、さらなるデータの入手が必要である。安芸線バスや高知東部交通バスの、なはり線開業前や開業後の輸送人員データや、高校への通学動向など色々必要になるだろう。また、高知県や沿線市町村、そして土佐くろしお鉄道やNPO等がどのような取組みをしているか、またどれくらい成果を上げているかも詳しく調べてみないとならない。

 最後に、通勤定期に関しては、農業や自営業など通勤を伴わない職種が多いのを考慮しても、高校生や大学生より年齢層がずっと幅広いので、本来は通学定期以上の潜在需要はあると思う。調べてないからなんとも言えないけど。如何にマイカーでの移動をやめさせるか、それにかかっている。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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懐かしいので貼ってみた<My little lover-hello again>

My little lover-hello again

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高知から持続可能な交通を実現する(55) 「ごめん・なはり線関連の資料置き場」

 先日アップした高知から持続可能な交通を実現する(53)についてだが、 実はインターネット新聞JanJanにも投稿していた。

 7月16日付で「大健闘つづく土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」」というタイトルで掲載されている。

 その私の記事についただが、非常に鋭い批評をなされているブログ記事を発見した。とれいん工房の汽車旅12ヵ月というブログで、その該当記事は「大健闘つづく土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」と言うJanJanニュースの記事と市民メディア」である。

 ご指摘の通り、投稿記事に関しては不十分な点が多々ある。些細な記載ミスから、私が言及しなかった着眼点まで、大変鋭く指摘されている。実は、平成18年度の年間輸送人員約118万人ですら当初の計画である年間145万人に届いていないことなど、私が全く気がつかなかった点もあり、もう一度調べてみる必要がありそうだ。

 そういうことで、まずは情報の整理も兼ねて、高知新聞のサイトにアップされているバックナンバー記事を読んでみることにする。これらの記事を元に、再度ごめん・なはり線について、次のエントリで検証する。今回のエントリでは、資料置き場を兼ねてごめん・なはり線関連のバックナンバーのリストを作成した。開業前から開業1年後にかけての変遷がよく分かる。

[高知新聞特集]

 最後のマイレール 開業ごめん・なはり線

[高知新聞バックナンバー]

 (2001年12月)
 ごめん・なはり線 来年7月1日開業 ダイヤも発表 (12月15日)
 ごめん・なはり線10億円確保 来年度予算財務省原案 (12月21日)

 (2002年1月)
 線路ウオークや試乗会など開催 なはり線開業記念 (1月17日)

 (2002年2月)
 JR後免駅に南北通路建設へ 大回り解消喜ぶ住民 (2月13日)
 ごめん・なはり線 イラスト車両到着 (2月26日)

 (2002年3月)
 なはり線応援歌 歌い続けて30年 安田町の小松さん (3月1日)
 のいち駅前整備縮小へ イベント広場見送り (3月2日)
 あすまでなはり線モニターツアー 沿線の観光地巡る (3月23日)

 (2002年4月
 モネの庭、慎太郎館、温泉 北川村満喫の周遊券発売 (4月2日)
 なはり線赤字対策に9億円 固定資産税分を基金に (4月6日)
 なはり線に置き石 安芸市赤野 (4月6日)
 奈半利駅が完成 東部交通の要衝に なはり線 (4月16日)
 なはり線 高架下の賃貸駐車場が好評 土佐くろ鉄 (4月19日)
 「乗るだけで楽しい」 やなせさんがなはり線試乗 (4月22日)
 なはり線試乗会参加募集 5月18日、6月2日 (4月30日)

 (2002年5月)
 芸西村「かっぱ市」好調 新鮮野菜や花が人気 (5月10日)
 なはり線の試運転列車 なぜ来ない?安芸駅以東 (5月12日)
 試乗会が超人気 定員の10倍応募 なはり線 (5月17日)
 なはり線完成検査始まる 後免、野市、安芸駅 (5月21日)
 なはり線開業は5駅で出発式 やなせさんに感謝状 (5月22日)
 なはり線に合格書 四国運輸局 (5月25日)
 ごめん・なはり線きれいに 芸西村民200人が清掃 (5月27日)
 ユニーク企画でなはり線盛り上げ アイデア駅弁募集 (5月30日)
 ごめん・なはり線 初年度赤字見通し5727万円 (5月31日)

 (2002年6月)
 段ボールで漫画列車 安芸市の商店主らなはり線PR (6月2日)
 通常ダイヤで訓練運転 ごめん・なはり線 (6月4日)
 なはり線全駅に立体キャラクター 市町村職員ら企画 (6月5日)
 なはり線 奈半利へ開通記念列車 宿毛・須崎始発 (6月7日)
 なはり線利用促進 元気バス来月運行 安芸市 (6月12日)
 土電バス安芸線値下げ なはり線とほぼ同額に (6月14日)
 ごめん・なはり線着ぐるみキャラ登場 来月初仕事 (6月14日)
 なはり線に打撃必至 土電バス安芸線の値下げ (6月15日)
 奈半利駅―モネの庭 来月からバス便 観光客に対応 (6月17日)
 くろ鉄社長 「値下げ競争せず」 土電バス対策 (6月18日)
 東部の特産品ずらり 奈半利駅物産館きょう開館 (6月23日)
 ごめん・なはり線の定期発売 初日はわずか13人 (6月25日)
 なはり線通勤者開拓へ 安芸職業安定所に掲示 (6月26日)
 ごめん・なはり線 安田駅売店がきょう開店 (6月29日)
 県が勤務時間特例措置 なはり線など利用者対象 (6月29日)
 ごめん・なはり線 あす待望の開業 着工から37年 (6月30日)
 開業控えたなはり線 沿線の熱気最高潮 (6月30日)

 (2002年7月)
 ごめん・なはり線きょう開業 夢乗せ一番列車 (7月1日)
 安芸、奈半利駅乗り入れ 東部交通の路線バス (7月1日)
 なはり線終日大にぎわい 県内ツアー客ら続々 (7月2日)
 沿線笑顔、便利になった 開業初日なはり線スケッチ (7月2日)
 モネの庭へ路線バス 女性客に好評 北川村 (7月2日)
 なはり線満員御礼 予想の2倍8000人 初日乗客 (7月3日)
 海眺め食事を 奈半利駅の食堂が大盛況 (7月3日)
 「なはり線」人気過熱 漫画列車など満員 (7月4日)
 列車利用しサンゴ見よう 奈半利沖で6、7日開催 (7月4日)
 なはり線開業で企画展 安芸市歴民館 (7月5日)
 イチジクシャーベット人気 奈半利駅で限定販売 (7月5日)
 なはり線を起爆剤に 中芸5町村長がサミット (7月6日)
 車いすで車内通れない なはり線バリアフリーに課題 (7月6日)
 なはり線初の週末 駅も列車も人波あふれる (7月7日)
 走れ「ふれあい高新号」 宿毛-奈半利を5時間半 (7月7日)
 須崎からも直通列車 160人が新路線楽しむ (7月8日)
 奈半利駅に早くも落書き 開業ムードに水 (7月10日)
 奈半利駅に立体張り絵 ギャラリー初の特別展 (7月14日)
 車いすの障害者らなはり線満喫 芸西村企画 (7月21日)
 土電バス安芸線が大健闘 乗客減わずか1割 (7月25日)
 安芸鉄道建設所が閉所 37年の苦労ねぎらう (7月26日)
 土佐ノ海関もご満悦 なはり線で里帰り (7月26日)

 (2002年8月)
 なはり線開業1カ月で乗客10万人 運賃収入好調 (8月1日)
 きれいなサンゴ見えた 奈半利沖で無料見学会(8月4日)
 中村市で絵金展 ごめん・なはり線開通記念 (8月11日)
 漫画列車クッキー発売へ 安芸市の商工業者グループ (8月20日)

 (2002年9月)
 なはり線乗車13万5000人 当初予想上回る (9月5日)
 鉄道少年「しょう太君」どこに? 奈半利駅に忘れ物 (9月8日)
 国体、なはり線バッジでPR 安芸市の通所授産施設 (9月10日)
 やすにんぎょちゃん壊される 夜須駅モニュメント (9月11日)
 赤野駅の一部焼く 列車運行には支障なし 安芸市 (9月17日)
 なはり線支援でNPO 安芸市で設立会議 (9月21日)
 「なはり線効果は絶大」 安芸球場 (9月23日)
 土電バス「安芸線」健闘 定期券もわずか1割減 (9月29日)

 (2002年10月)
 なはり線好調 8月実績 乗客12万人 (10月4日)
 なはり線で初の結婚式 香美郡のカップル (10月6日)
 なはり線にタイガース列車 来年1年間観光目玉に (10月8日)
 なはり線に乗って集まれ 安芸市で来月多彩な催し (10月20日)
 掛け時計になはり線キャラ集合 愛らしい文字盤 (10月22日)
 奈半利駅に観光案内所 県東部の発信拠点に (10月25日)

 (2002年11月)
 なはり線乗客数 9月は2割減 9万7000人 (11月6日)

 (2003年5月)
 「なはり線で通学」急増 1000円還元が奏功 (5月1日)

 (2003年6月)
 後免町駅-空港便が衣替え 虹色の低床バス登場 (6月2日)
 なはり線開業1周年 29日に記念イベント (6月14日)
 「モネ号」22日から運行 なはり線 (6月19日)
 なはり線 1周年で全国放映 漫画列車や風景紹介 (6月23日)
 ごめん・なはり線 あす1周年 真価問われる年に (6月30日)

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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そろそろ自転車言論界に参入しようか

 疋田智氏のメルマガ最新記事「自転車オススメ本スペシャル(1)の(週刊 自転車ツーキニスト335)」にあるように、”空前の自転車ブーム”であるそうだ。確かに、ママチャリではない自転車が目立つようになってきた。スポーツ自転車の売上もかなり好調だと言う。

 そして、同時に書店も”空前の自転車ブーム”になっているとか。昨日、書店に行って自転車コーナーを覗いてみたが、雑誌がすごいのだ。様々な雑誌が、矢継ぎ早に創刊されているのだ。3年前に『自転車生活』、『自転車日和』、『自転車人』がほぼ同時に創刊されたが、現在の状況はそれにも勝る盛況ぶりである。私が見ても何がなんだか分からないくらいだ。単行本もまたすごい。メルマガにあるように、疋田氏の著作も含め色々出版されているのだ。とりあえず、疋田氏の『自転車をめぐる冒険』と、エンゾ早川氏の『まちがいだらけの自転車えらび』は、購入して一読してみたが、その他はなかなか時間がなくて読めないでいる。

 さて、前置きが長くなったが、本題はそろそろ私も自転車言論界に本格参入しようかということである。それを視野に入れて、自転車関係のことは積極的に勉強してきたし、当ブログも開設した。だんだん、焦点がずれてきたけどね・・・・。

 今まで自転車の本が色々と発刊されているものの、ある内容のものがないことに気がつく。疋田氏の自転車啓発本から、メンテナンス本、サイクリング入門本、自転車世界一周本、メカニック本、健康・ダイエット本、自転車エッセイ、小説、硬派な都市交通論本と本当に多岐にわたる。しかし、私がかねてから考えてきたものが全くと言っていいほど存在しないのだ。

 そもそも、こうやって自転車ブームに沸き立っているのは、大都市が中心だ。地方都市では、決してブームではないのである。私は、高知県という田舎の出身でしかも県庁所在地から離れた香南市夜須町であるので、ある程度は知っているつもりである。ここ最近ずっと、ガソリン価格が毎月のように上昇しており、みな悲鳴を上げている。食品等も値上げになるし、本当に大変である。

 にも関わらずだ。香南市近辺などでは、自転車を見直そうという動きなんか全く見られない(ように思える)。本当に自転車が走る姿を見かけない。10年前のほうがまだ見かけたぞ。それに、「これくらいの距離なら自転車で行けよ」と思うような距離ですらみんなクルマをよく使う。確かに、いくらガソリンが高騰すれど自転車に乗る習慣がないので、迅速に切り替えできないのだろう。

 それに、大都市に比べ情報が圧倒的に少ない。私だって、大学に入学するまでは、全くスポーツ自転車に縁がなかった。どこからも情報がもたらされなかった。スポーツ自転車には、どんな種類があるのか、どんな特性があるのか、どこで売っているかということすら知らなかった。いや、完全に別物だと考えていた。ママチャリのことを「フツーの自転車」と呼んでいたことからしてそうだ。その思い込みを解いて下さったのが、疋田智氏の名著『自転車生活の愉しみ』である。多くの人にとっても、ホームセンターとスーパーにおいてある自転車の世界しかないのではないだろうか。個人の零細自転車屋は絶滅寸前だし。

 ということで、いかに高知みたいな地方都市で、自転車を見直してもらおうという趣旨で本を書こうと考えている。地方都市に焦点をあてた本、今まで全然なかった。あるとすれば、盛岡市在住の斉藤純氏による『ペダリスト宣言』くらいか。

 完全な初心者本でもなく、硬派になりすぎないレベルで行こうと思う。ただ私が書くことだから、あまり堅い内容にならないように配慮してもちょっぴり硬派な内容になるだろうね。今までにない挑戦になることは間違いない。自転車なんか忘れている一般大衆に対して、これまでの自転車の凝り固まったイメージ(短距離、低速、ごく近所の乗り物、かったるい、安ければ安いほどいい)をぶっ壊さなくてはいけないからだ。でも、地方都市でも自転車の出番は多いこと(公共交通の水準や移動距離の短さなどによる)、家計の救世主になることは間違いない。そういうメリットをきちんと伝えていきたいと考えている。

 まだ仮題だが、タイトルは、

『地方都市の自転車生活 -ガソリン高騰を乗り越えて-』

を考えている。

 これじゃセンスない?売れない?そうかもしれない。もっと、売れそうなタイトルを考えなければいけないね。進捗状況は、まだ30%ほど。今までこつこつと少しづつ書いてきた。7月中には、なんとか一通り書き終えたいと思っている。

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高知から持続可能な交通を実現する(54) 「教師こそなるべく公共交通または自転車通勤で」

 「大人は子供の鏡」と言うように、大人の行動は子供に大きな影響を与えるものである。学校の教師、特に小中高の教師は、生徒たちにとって親と並ぶ身近な大人だ。その教師たちは子供の鏡となるべく模範的な行動をしているのだろうか?様々な教師の問題行動がマスコミをにぎわせているように、教師の倫理観の欠如も見受けられる。しかし、特に問題になりえない善良な教師の普通の行動が、子供達に悪影響を与えていると考えられる事象が存在する。

 それは、毎日繰り返される教師陣の通勤行動である。生徒は、当然ながら公共交通機関や自転車で通学する。しかし、教師たちは免許を持っているのでマイカー通勤の場合も多い。わが母校(中学校・高校の時)のことになるが、生徒達は狭いバスにぎゅうぎゅうに押し込まれて学校へ”輸送”されている一方で、教師陣はマイカーで悠々とやって来る。そのための駐車場もしっかりと用意されているのである。

 みなこのようなことを当たり前と思っているが、よく考えたらおかしなことではないか。こういう行動が、生徒達に「公共交通や自転車は、高校生までのもの、大人になったら自動車に乗るのが当たり前」という意識を知らず知らずのうちに植えつけているのではないだろうか。クルマ依存社会が現実に、様々な規模で悪影響を及ぼしている以上、このようなことは全くもって望ましくない。

 教師は、当然生徒達にとっては尊敬されうるべき存在だが、決して神でも特権階級でもない。ごく一般の市民である。本来は、生徒達と同じ目線を保つため、原則として同じ手段で通勤すべきである。それは、公共交通機関、自転車、徒歩による通勤である。教師が積極的に公共交通や自転車を使うようになれば、生徒達の乗車マナーも改善されると思うし、何より生徒と先生のコミュニケーションの場にもなる。教室では、お互いに緊張状態にあるので、生徒達もどうしても仮面をかぶってしまう。しかし、学校以外の場所であれば、生徒だって心を開きやすくなるし、先生も教室とはまた違う素顔を見せるものである。列車のボックスシートで、先生と生徒が向かい合って、生身の人間同士として色んな話をすることもできる。授業とはまた違った話だってできる。もちろん、そうであっても先生は生徒にとっては目上の存在だし、教育上好ましくない話はすべきでないが・・・。こういうことは、生徒達にとっても、すごくいい思い出になると思う。さらに、回りまわってイジメや非行防止にもつながるかもしれない。

 わが母校の教師陣の住所を見るとほとんどが高知市である。多くの教師は、生徒達と同じ手段で通勤可能だと思われる。学校が地理的に特殊な場所にあることを加味しても、できるだけそうすることはできないものだろうか?確かに、下校時のバス便だが最終便が早過ぎる。教師陣のバス通勤を促すならば、もう一本遅いバス便を追加する必要はあろう。

 授業参観日や体育祭、文化祭などの行事の時は、多くの父兄が集まってくるが、この時も「なるべくマイカーでのご来場はご遠慮ください。駐車場は○○台しか用意しません。公共の交通機関をご利用ください。」と事前にはっきりと告知するようにするべきである。

 このような小さい積み重ねも、脱クルマ社会と公共交通の復権には、とても重要だ。少なくとも高知市内の小中高では、なるべくそのようにしていただきたいと思うのだが・・・。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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高知から持続可能な交通を実現する(53) 「大変健闘しているごめん・なはり線」

 平成14年(2002)に、土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」が開業してから今年7月1日で6周年を向かえた。開業前は、閑古鳥が鳴くのでないかと心配されていたが、予想以上の成果を収め堅調に推移している。

 下のグラフは、輸送人員(一年間、単位:人)の推移である。出典は、高知県交通政課でいただいた「土佐くろしお鉄道(株)の会社概要」による。注意点は、平成14年度は、開業が7月1日であるため、7月1日から翌年3月31日までの9ヶ月間のデータである。そのため、平成15年度以降を比較対象とする。

Photo
(ごめん・なはり線 輸送人員の推移 ※画像は拡大可能)

 このように、輸送人員は年々増加している。全体の輸送人員は、平成18年度で約118万人。平成15年度には、約96万人であったから約1.23倍の増加である。

 通学定期の利用に関しては、平成15年度には約38万人であったものが、平成18年度には54万人にまでと約1.43倍に増加している。少子化により年々、高校入学者数が減少する中で、このように増加傾向を見せることは、非常に特異なことである。今後、掘り下げた検証が必要である。

 通勤定期客もわずかながら増加傾向にある。平成15年度には、約13万人であったが、平成18年度は、約18万人と約1.38倍の増加を見せた。ただし、絶対数としては約5万人の増加であり、通学定期客ほどではない。

 定期外客は、初年度は開業ブームもあり、9ヶ月間に約54万人を記録したが、翌年には約45万人、翌々年には約41万人に減少したが、平成18年度には、約47万人まで回復している。ちなみに、輸送密度は1130人である。(※1)

 特徴としては、平成18年度を例にとると、通学定期客が全体の約45%を、通勤定期客が全体の約15%を占めており、実に定期客が全体の約60%を占めている。美しい車窓を楽しんでもらおうとオープンデッキ付き車両を用意したり、駅ごとにマスコットキャラクターを設けたりと、観光路線としてのイメージが強いごめん・なはり線であるが、実態は生活路線である。

 だから、車内外にマスコットキャラをペタペタ貼りまくったり、アナウンスで「次は、”かがみみかんちゃん”の香我美です」などとマスコットキャラ名を言うのはあまり好ましくないと思う。

 この増加傾向は、ごめん・なはり線が大変健闘している証である。高知県の他の公共交通は、年々輸送人員が激減しているが、その中で、このように増加傾向にあるとは非常に特異なことである。年間輸送人員約118万人は、土佐電鉄安芸線の最晩年にあたる昭和48年(1973)度の年間輸送人員131万4000人(※2)に近い。その間にも、モータリゼーションがさらに進行したに関わらず、この輸送人員を達成しているのだから驚異的と言わざるを得ない。

 沿線にいくつも高校がある(高知東工業高校、高知農業高校、城山高校、安芸桜ヶ丘高校、安芸高校)こと、香南市野市地区は人口が増加傾向にあり、高知市内への通勤通学客が多いこと、快速を設定し高速運転していること、安芸線バス時代よりも運賃が安くなったことなどが好調な要因であろう。また、多くの列車がJR土讃線に乗り入れて高知駅まで相互直通運転しているのも見逃せない。

 ただし残念ながら、ごめん・なはり線の経常損益はマイナスである。

   平成14年度 12、884
   平成15年度 -102、019
   平成16年度 -86、741
   平成17年度 -75、921
   平成18年度 -100、698

   ※単位は、千円

 初年度の平成14年度こそ、約1200万円の黒字を計上したが、それ以降はずっと赤字である。平成18年には、輸送人員が前年度よりも向上したに関わらず、赤字額は大きくなっている。高知県交通政策課の担当者によると、「短距離利用者は増加したが、長距離利用者は減少したため。」だそうである。もし、この1億円の赤字を解消するならば、1人平均500円支払うと仮定すれば、あと年間20万人の乗客増が必要である。

 心配なのは平成17年度から平成18年度にかけては増加しているものの、定期外、通勤定期、通学定期とも微増にとどまり、頭打ちになってきているのではないかと思われることである。今後、減少する可能性もある。それでは赤字増加以上に、せっかくの鉄道路線が有効活用されてないことになるからあまり好ましくない事態である。

 通学客はおそらく飽和状態(しかも少子化で今後確実に減少する)だろうから、いかに通勤客や定期外客を増やすかが重要だ。通勤客は、いかにマイカー通勤から切り替えてもらうかであろう。ガソリン価格も上がり燃料費負担もきつくなっているので、この機会にもっとアピールしてはどうだろうか。ガソリン代+月極駐車場代と比べればこれだけお得ですよ、ゆったりと本でも読みながら安全に通勤できますよということをセールスポイントにしたらよい。

 定期外客についても同様で、マイカーから転移を促すようにすればよい。手っ取り早いのは、高知から持続可能な交通を実現する(42)で書いたように、阪神タイガースの春季キャンプやカシオワールドオープン、手結盆踊りや絵金祭りなどのイベントや祭りの時に、公共交通機関での来場をさらに徹底させることであろう。

 そして、何度も私が言っているように土佐電鉄高知東部交通香南市営バスなどの他の事業者とも密に連携を取ることである。将来構想として、土佐電鉄との直通運転も考慮すべき。これらについては、また追って説明する予定でいる。

 地域全体で自動車依存度を大幅に軽減する上で、ごめん・なはり線は重要な使命を背負っている。今後も健闘を祈る。

Img_3907
(ごめん・なはり線で使用される9640形気動車)

※1 川島令三著『全国鉄道事情大研究 四国篇』
※2 寺田裕一著『消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪4 近畿・中国・四国・九州』

※当記事は、インターネット新聞JanJanにも、ほぼ同じ趣旨で掲載しています。
大健闘つづく土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」 
(2008年7月16日掲載)

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高知から持続可能な交通を実現する(52) 「投書により後免町駅の接続案内が改善された!」

 6月10日の高知新聞朝刊に私が投稿したものが掲載されたことを報じた(高知から持続可能な交通を実現する(43))が、実際に土佐電鉄、土佐くろしお鉄道側とも改善があり、そのことが7月12日朝刊の記事になった。以下がその記事である。

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(7月12日朝刊の高知新聞記事 ※画像は拡大可能)

 投稿が掲載されてからしばらくして、声ひろばの担当者より電話をいただいていた。「投書により事態がすぐに改善されたのは珍しい。そこで、記事にしたいと思うので改めて別の者より連絡が行きます。」というような内容であった。

 2日前の7月10日に、記者の高橋誠氏より電話による取材を受け、本日にその記事が掲載されたのである。見出しに「土電 くろ鉄 後免町駅の接続案内充実とあり、実際に両社が改善に乗り出したことが述べられている。

 実際に、土電側はすぐに社内で通達が出て、運転士には後免町到着時に、安芸線バスとごめん・なはり線の乗換えについて案内放送をするように指導したそうだ。ただ、放送するかどうかは、今のところ運転士次第らしいが、自動放送で案内するようにしたいところではある。また、早速翌日の6月11日には、ホームにごめん・なはり線の時刻表が掲載された。

 土佐くろしお鉄道側も、ホームに土佐電鉄の時刻表を掲載するようになり、車内でも案内放送を始めた。

 両社とも驚くべき対応の早さである。私もここまで迅速に対応するかとは思っていなかったので、正直驚いている。しかし、なぜこれまで6年間に渡って、こんな基本的なことも実行出来ていなかったのか、むしろその方が不思議ではあるが・・・。

 今後は、記事にある通り、土電側がごめん・なはり線との連携を考慮したダイヤに改めるかどうかだが、これに関しては、鏡川橋以西で単線区間を抱え、ダイヤ組成の上でのネックになっているため微妙なところではある。そうであっても、公共交通同士の連携は、公共交通機関として最も基本的なことであるので、是非とも手を打っていただきたいと思う。安芸線時代は、後免町駅で接続どころか直通運転までしていた。鏡川橋以西だけでなく、安芸線も単線。それでも、直通ダイヤを組んでいたので決して不可能ではないと思う。

 そして、土佐くろしお鉄道やNPOごめん・なはり線を支援する会などが、土電の接続ダイヤも盛り込んだ、ごめん・なはり線時刻表を作成するかどうかも見逃せない。

 また、今回は後免町駅での連携にのみ焦点を当てたが、ごめん・なはり線は、のいち駅や夜須駅で香南市営バスと、安芸駅や奈半利駅で室戸・甲浦方面の高知東部交通バスと連絡している。こちらも、ダイヤ面の連携や接続に関する情報は不十分だ。追ってブログで取り上げていく。

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JR東海 MAD AMBITIOUS JAPAN!(YouTube映像)

JR東海 MAD AMBITIOUS JAPAN!

すごいハイクオリティな映像・・・・・・。

素人が作ったとは思えない構成力。なんど見ても飽きません!

新幹線だけでなく、在来線の313系、373系(ムーンライトながら)、383系(ワイドビューしなの)、キハ75、キハ85(ワイドビューひだ)も登場します。

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高知から持続可能な交通を実現する(51) 「私の問題意識を振り返る (その3)」

 高知から持続可能な交通を実現する(50)の続き。

 ここからは、相当に個人的な事情になるが、私の問題意識形成の上で相当大きいことなので述べる。中学生の時などのことは、大人になってみて振り返ってみると、「なんでこんなことにこだわっていたのだろう。こんな小さなことが気になっていたのだろう。」と思うことは、多くの方にとって一つや二つはあると思う。私の場合、公共交通で他に乗っている乗客が少ないとすごく不安になってしょうがなかったのっだ。

 ごめん行きの路面電車に市内から乗ると、平日夕方では介良通くらいまでは、立ち席が出るくらいの乗客が乗っている。そこからどんどん少なくなっていき、鹿児でどっと降りる。そして、順次乗客が降りて行き、後免西町にさしかかるころには、かなり少なくなる。そして、西町、中町、東町で乗客が降りて後免町終点ではたいてい一桁になる。その乗客が減っていくのが不安になるのだ。土曜日に乗った時など、はりまや橋で乗った時点で「たったの5人」とかいうこともあったので、「ひとりぼっちになったらどうしよう」と不安で不安でたまらなかった。途中の電停に停まるたびに、果たして何人降りるのか、できるならあまり降りないでくれと気になってしょうがなかった。実際、一回あったが後免東町でみんな降りると分かった時には、自分もあわててそこで降り、後免町まで走った覚えがある。反面、大雨の日にぎゅうぎゅうなくらいに満員になった時は、自分が座れなくても「これなら後免町まで多くの人が残ってくれると」すごく嬉しかったこともあった。どうも、ある一定以上(おそらく最低10人以上)の乗客がないと、そわそわして安心できなかったようである。

 今、考えたらかなりアホらしい。相当にアホらしい。バカみたい。誰が聞いてもアホらしいとしか思えない。なんで、こんな気にするまでもないことを気になっていたのだろうと自分でも思うくらいだ。まあ、少年時代はこういうこともあって成長するものだろうと納得しているが。このことは、公共交通に関する意識を大いに芽生えさせたのである。

 電車の乗客は女性が多い傾向があるのも、乗っていて肩身が狭いと思った。特に土曜日の午後、ごめん方面行きに乗るとあっちを見てもこっとを見ても女性ばかり。20人ほど乗客がいる中で、男性は私を含めて2人だけとかということもあった。なんかこれは「女性専用車」かと思えるほどだ。高知工科大生の修士論文によると、なんと乗客の7割が女性であるとのこと。その数字を見てまさに感覚どおりだったのですごく納得した。なぜ、男性の大人は、電車に乗らないのだろうと考えるようになったが、続編で詳しく後述する。

 (3)の高知駅からJR利用であるが、初めてJRに乗ったのは中3の時とかなり遅い。それは、一人で乗ったことがなかったので、乗り方が正直分からなかったこと(今思うと、すごい簡単なのに・・・)、JRと言うとどこか生活路線でなく余所行きの乗り物というイメージが強かったことが大きい。それとも関連するが、余所行きのイメージが強すぎて運賃も高そうだという思い込みもあった。それでも、南国山田方面から通っている生徒は汽車通学(JRのことを汽車と呼ぶのが慣わしである)である、どんなものかと思って興味があったからである。余談だが、今、地方でバスや鉄道の乗り方を知らない子どもが多いと考えると公共交通の未来はどうなってしまうのだろうと不安でならなくなる。

 初めて乗った時の記憶は今でも鮮明に覚えている。券売機で切符を購入し改札口の前で該当便の時刻と乗り場を確認し、改札で日付印を押してもらってホームに入場する。初めて乗った車両は、まだ新鋭だった1000形気動車。車内も土電と比べてすごく綺麗なことにまず感動。そして走り始めると、なかなか加速も良いしすごく速い。行き違いもなく、後免駅までは15分ほどで着いた。土佐電鉄のはりまや橋~ごめんの半分以下の所要時間だ。鉄道と言うと土電しか知らなかった(小さいころは、大都市の電車も乗ったことがあるが記憶が曖昧)ので、隔世の感である。正直感動ですらあった。

 JR線は、実は運賃が安いことも驚きであった。高知~後免が260円なので、土電の市内~後免町400円(当時)に比べると140円安い。速くて安い、時間が分かっていればこっちが断然便利だと思うようにもなった。また、キハ58系についても、それほどボロい印象は持たなかったし(土電電車と同じくらい古いのに・・・)、静かで落ち着いた走りをするので結構好きであった。それに比べたら1000形はスポーツカー的な印象であった。キハ58系がどういう車両であるかを知る前より、わざわざそちらを選んで乗っていた記憶がある。

 それ以後は、気分次第で土電かJR線かを使い分けるようになった。土電と違い、十分過ぎるくらい多くの乗客が乗っているので、不安感を覚えることもなく安心して乗れることも、時々使うようになった理由である。しかし、こちらも公共交通への問題意識が芽生えるには、十分過ぎるほど材料はあったのだ。詳しくは、続編で。

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高知から持続可能な交通を実現する(50) 「私の問題意識を振り返る (その2)」

 高知から持続可能な交通を実現する(44)に、書いたように中高生時代は通常はスクールバス通学であった。平日土曜の登校時は、100%スクールバス利用であるが、帰りは部活の関係上、乗れないことが多かった。私が入学したときは、帰りの赤岡行きは4時15分と5時5分の2便。6時限終了後のホームルームは4時ごろに終わるので、部活がない場合、もしくは5時で切り上げる場合は乗れるのだが、6時まで部活を続けるとなると乗ることができない。そこで、他の交通手段で帰る必要がある。

 幸い、私の母が当時高知市内に勤務していたので、多くは迎えに来てもらって夜須まで帰っていた(思いっきりマイカーの恩恵を受けていたことは認めざるを得ない)。しかし、平日でも都合が合わないときや、土曜日に限っては公共交通利用になる。

 そのパターンであるが、

(1)高知県交通バスではりまや橋等(帯屋町等に寄る場合は大橋通りや掘詰で降りることもあった)まで行き、安芸行きのバスに乗り手結で降りる
(2)県交通バスで上町一丁目まで行き、路面電車のごめん行きに終点まで乗る
(3)県交通バスではりまや橋等まで行き、歩いて高知駅まで行きJR線に乗り後免駅で降りる
の3パターンであった。

 (1)ならば、公共交通機関のみで自宅まで帰れるが如何せん運賃が高い。県交通の310円に加え土電バスの950円(当時)で合計1260円。県交通の方は回数券利用、土電の方は株主優待券利用であるが、この調子だと1年持たない内に優待券が枯渇してしまう。それで、大抵は(2)のパターンが多かった。これなら市内~ごめんが400円と950円の半分以下だし、後免町までなら迎えに来てもらってもさほど負担にならない(大抵は祖父が迎えに来てくれた)。土曜日に帰る時は、たいていこれだった。だから、土曜日は電車で帰る日というのが、お決まりパターンになっていた。(3)は、中学3年の途中からよく使うようになった。

 その中で、最も私に影響を与えたのは、路面電車である。入学当初は、スクールバスから併走する路面電車を漠然と眺めていただけであり、前面3つ窓の200形と前面2つ窓の600形の区別も特に意識してはなかった。明らかにスタイルの異なる1000形と外国電車は明確に区別が付いていたが。

 当初より「車両は古そうだが、一体製造から何年ほど経過しているのだろう?」とは思っていた。漠然と30年くらいかなと思っていた。それは、学校の図書館でたまたま見た、ブルーバックスの『万物寿命事典』に、電車の寿命の項目で「長く使われた例で、ニューヨーク地下鉄の車両は、スクラップになるまで40年以上使われた」と書いてあったことによる。そうか長い場合40年ほどは持つのか、電車の寿命は長いなと思った。土電の場合は、古そうだけどさすがにそこまでは行っていないかな。多分、最も古いのでも30年くらいかな、と考えていた。

 中学1年の冬ごろ乗った時が重要である。この少し前(12月の終わり)にも、たまたま車内の運転台背後に書かれている番号に目が行って「この電車は205という番号がついているのか」と意識したことはあったが、それで詳しく調べるようには至らなかった。余談だが、当時前面6つ窓の車両(201・202・204・205)は、特別な電車と思っていて、それがやってきた時、妙に嬉しかったのだ。その205号に乗ったとき、車内も木の床でなく、内装もどことなく新しいので、まだ新しい電車と思っていた。それが、後々に土電の通常営業車両で最も古い電車(昭和25年製造)で、後にリニューアルされていたということが分かって意外に思った。

 この冬に乗ったとき(しっかり覚えている。錬歩会の日のことである。グループの帰還が遅れ、スクールバスに乗れず。歩き疲れふらふらになりながら電車に乗り込んだ。)、はりまや橋からごめん行きに乗り、満席で席に座れず広告欄にふと目がいった。そこに文字だけ書いてある履歴書なるものがあった。読んでみると、

「私の履歴書 212号 東京都電6000形をモデルにして、昭和29年3月に山口の日立製作所で生まれずっと当地で走り続けています。40代の働き盛りです。これからもがんばりますのでかわいがってください。 半鋼製二軸ボギー車 定員80名」

と、おおまかなところ書いてあった。これを見て「今乗っている電車のこと?ほんとに?」と思ったが、側面窓の番号を見ると212と書いてある。確かにそうらしい。となると、昭和29年製造とはいったい何年経過しているんだ?今が平成8年(1996)なので、計算してみると41年・・・・。え、41年?母が生まれる1年前だよな。心底驚いたのも想像に難くない。古くてもまあ30年ぐらいだろうと思っていたし、しかも、いきなり40年以上経過した電車に出会うとは!クルマは10年程度で買い換えることを考えたらなんという凄まじいくらいの長寿命!そんな40年も前に造られた電車が、このたった今、人を乗せて走っている!すごいではないか!とまあ、えらく感動したわけだ。昭和29年なんて私が生まれる30年近く前、写真でしかその姿を見ることができないわけだ。高知の街の姿も現在とは随分違う。そんな時代から走っているという事実に感激したわけである。

 その後は、乗車するたびに履歴書を見るようになったし、車体番号にはどういう意味があるのかも疑問に思って意識して見るようになった。色々と観察してだんだん特徴が分かってきた(パンタグラフ、台車、マスコン、床材、ドアの内側などの違い)。そうこうして、土電の路面電車車両の全貌を把握した。後には、文献でその事実を確認するようになった。車体広告も全部覚えてしまったよ。中2から高3まで、広告の移り変わりは全部この目で見てきた。今でもだいたい覚えている。これらは、現在運営中のサイト「土佐の高知の鉄道」作成につながっているわけである。

 まだまだ長くなるので、続きは次のエントリに譲る。

〔高知から持続可能な交通を実現する一覧〕

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高知から持続可能な交通を実現する(49) 「エントリ(46)のコメントへの返信 -続き-」

 作成中。もうしばらくお待ちください。

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高知から持続可能な交通を実現する(48) 「エントリ(46)のコメントへの返信」

 高知から持続可能な交通を実現する(46)で、2件のコメントをいただいた。そのままコメントとして返信してもよいが、丁寧に説明すると長くなりそうなので、1記事として新たにアップした。

まず、通りすがりさんの投稿。

はじめまして。

戦後の日本はこういう流れで来ました。
・公衆浴場→家風呂
・公共交通→クルマ&バイク
・公衆電話→携帯電話
要するに、生活のあらゆる手段がプライベート化されて来た訳です。もちろん左側のほうがエコなのは言うまでもありません。一人一人が風呂や電話を持つよりも、皆が銭湯や公衆電話を使うほうがエコですね。

でも、そういった不便な時代に戻る覚悟はありますか?ということです。交通手段についてだけあれこれ意見を書かれても説得力に欠けます。ケータイも持っていなくて、いつも銭湯に通っている人の意見なら説得力はありますが・・・。

次に、けんちゃんの投稿。

 田中康雄でしたかね。一度便利なことを覚えると不便な時代には戻れない。なんとなくの小説の一節でしたか。

 それはバブルの時代でどんどん文明が進歩するのが当たり前であると思われていた時代のお話。これからも進歩するかどうかはわかりませんね。むしろ資源のない日本では退歩する可能性もあります。

 公衆浴場はそれなりの楽しみがあるし。公共交通もそうですし。公衆電話にまた戻れば良いとも思う。それでも文明社会ですよ。

 いつぞやバリ島でしたか。不衛生な環境に市場ニョワイのが日本人。他国の観光客はなんでもないのに、日本人だけが感染症になりました。

 過度の文明の進歩はおかしなことになりますね。ひ弱になるだけですね。

 ご指摘の内容は、内風呂や携帯電話の問題に触れず、交通手段の話ばかりだと説得力がないということだが、確かに一理ある話だ。

 まず、銭湯(公衆浴場)であるがこれはもっと見直されていいと思う。江戸時代以前からの長い歴史を持つ共同風呂文化だし、複数の人々で一つのお風呂を共用するわけだから、当然エネルギー消費も少なくなる。家風呂だと一人当たり3000キロカロリーのエネルギーを使うが、銭湯では一人当たり200キロカロリーと15分の1で済む。(出典:武田邦彦著『偽善エコロジー 「環境生活」が地球を破壊する』53ページ) 銭湯利用率を向上させることは当然エコであると言える。

Miyaduyu01
(宮津市内の銭湯 http://www.sukima.com/temp/miyaduyu.htm

 銭湯には銭湯の楽しみがあるのは大いに同感だ。なんと言っても、大きく深みのある浴槽は、足をのばせるし、ちょっと熱めのお湯加減も慣れれば大変気持ちがいい。お風呂上りにもソファーでくつろげるし、冷水機が備えてあるならばその水は大変おいしく感じる。夏であれば帰りの夜道もすがすがしくて気持ちがいい。雨の日や冬寒い時は少々きついけど・・・。また、銭湯には地域の情報センター的な役割もありコミュニティの醸成につながる。家風呂が普及してなかった頃は、銭湯には様々な役割があったはずだ。

 参考: 銭湯へ行こう!(金春湯)

Daiko104
(典型的?な銭湯の内部 ayabittann76より)

 ある一定以上の人口密度がある庶民的な地域では、銭湯の復権もありだろう。多くの人が徒歩(ちょっと遠い人は自転車で来てもいい)で1箇所の銭湯へ来れるくらい十分な人口集積があれば成り立つ。それは、今でも銭湯が多数残る東京都中野区や杉並区なんかがそうだし、民家がひしめき合っている漁村集落なんかもそれに当てはまる。銭湯のある街=コンパクトシティ、コンパクトタウンだとも言える。一方で、人口密度が低い農村、山村では難しいだろう。敷地にも余裕があるので昔から家風呂が主流であっただろうし。 個人的には、大都市の独身用アパートに内風呂はいらないと思う。トイレも共同でいい。その方が家賃を抑えれるし、風呂やトイレのスペースを居室拡大に使えるし、配管も少なくてすむ。

 ただし、銭湯を復権させるならば、現代のニーズにも応えるために、銭湯閉店時でも使える無人コインシャワーを併設する必要があろう。

 ちなみに私は、時々銭湯に行っている。(宿舎の共同風呂だが・・・) 1週間に1~2回ほど行く。内風呂では、ガス代と水道代が余計にかかるので浴槽は滅多に使わない。今までに使った覚えは5回くらいしかない。ためるまで時間がかかるので、シャワーを必要最低限使っているだけだ。さらに、旧式なので後から沸かすことが出来ず、1回ごとに湯を捨てて入れなおさなければならないのも大きな理由でだある。そうなると、ゆっくりと湯船につかりたいと思ったら共同風呂に行くわけだ。1回170円と格安だし。

 確かに、家風呂は好きな時に入れるし、移動距離もない。便利なことは間違いない。一方で銭湯はそんなに不便だろうか?少なくとも街の構造と銭湯の立地がマッチしていればそんなに不便はないと思う。前述したように、銭湯にも色々なメリットがある。特に、家風呂では、お風呂上りのすがすがしさという点で、銭湯には絶対にかなわない。お風呂は、ただ体を洗うというものではない。文化風習である。銭湯は、その文化を醸成してきた。家風呂は、便利だけどつまらなくしてしまったと思う。

 それに家風呂化は、そっちの方が便利だからという側面もあるが、プライベート化が文明進歩だ、いいことだという高度成長期以降のイデオロギー的な面も強いと思う。戦後、住宅事情は大きく変わった。これまでの民家は封建的なものとして否定され、戦後民主主義の中で新しい住宅の価値観が生まれた。その特徴は、大きく5つに分かれる。1・床座から椅子座へ、2・食寝分離、3・就寝分離(夫婦と子どもの寝場所を分ける)、4・家事労働の削減(ダイニングキッチンの登場)、5・設備の充実化(上下水道、ガス、洗濯機、冷蔵庫など)(出典:吉田桂二著『民家に学ぶ家づくり』114ページ 平凡社新書)である。その先鞭的存在の一つが、住宅営団(当時。後の、住宅公団→住宅・都市整備公団→都市基盤整備公団→都市再生機構)のあの有名な51C型住宅(1951年に吉永泰水氏らが提唱した)だ。(下図参照)

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 これが、2寝室と台所兼食事室(ダイニング・キッチン、DK)からなる2DKの原型となり、戦後日本の集合住宅のモデルとなった。面積はだいたい35.4平方メートル、10.7坪ほどと現在の集合住宅と比べると大変狭い。 間取りを見ると、台所のみ椅子座化している。でも、よく見るとトイレはあっても(しかも洋式だ)、風呂がないが・・・・。ただ、51C型と言うのはプロトタイプなので、実際に住宅公団が昭和32年に蓮根団地で打ち出した「2DK55型」では、きちんと浴槽付き浴室が標準装備になっていた。いずれにしても、このトイレ風呂付き、ダイニングキッチン、食寝分離住宅は、今後の集合住宅の原型になったわけだ。この公営住宅は当時の人にとっては垂涎の的だったわけで、「各世帯に風呂は標準装備」という価値観もこの時に芽生え広がっていったわけだ。

 参考: 集合住宅誕生物語  51C型という家がありました

 銭湯=不便で時代遅れ、家風呂=便利で進歩的、と短絡的に決め付けるのは間違っている。それは、ある時代の価値観であってこれからも続くとは限らない。銭湯を見直すと言っても、何もかにもを銭湯全盛期に戻るわけではない。現代に即した形で復刻すればいいし、今も現役の銭湯だって適切なリニューアルを施せば、より便利で使いやすいものになるだろう。失われたものを見直すことだって、立派な文明進歩である。一回、家風呂が浸透したからこそ、銭湯の良さだって再発見できると思うよ。

 いかん・・・・。銭湯を語りだしたらこんなに長くなってしまった。次に行こう。

 公衆電話→携帯電話であるが、この書き方だと、携帯電話が普及する前は、すべて公衆電話だけであったかのように見える。無論、そんなことはなく、一般家庭には必ず1台固定電話機があった。よって、この書き方は正しくない。公衆電話は、外へ出ていて何か必要な時に自宅へ電話するのに使っていたので便利な手段ではあった。ただ欠点は、誰かが家にいないと連絡のとりようがなかったことだ。今となっては確かに多少不便である。

 確かに、携帯電話の料金は高すぎると思う。これも若者の車離れの大きな原因であろう。自民党が主張しているように、小中学生に携帯電話を持たせることは禁止すべきだ。

(以下、まだ書いている途中)

 文章長くなってしまったので、公共交通に関する続きは次のエントリに譲る。

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「エコ替え」は甚だしい偽善エコ! その2

 「エコ替え」は甚だしい偽善エコ!の話、もう少し続ける。

 一体何km乗ったら、製造時の環境負荷を燃費改善で取り返せるのかという疑問だが、製造時における環境負荷がどれだけ発生するのか正確なデータが分からない(こういうのは企業秘密だろうし)ので、「どれだけ乗ったら新車購入費を燃費改善で取り返せるのか?」で考えてみたい。

 まず、現在1リットルで12km走る車に乗っているとする。それを、1リットルで20km走る新車価格で総額250万円のクルマに乗り換えるとする。ガソリン価格は1リットル170円と仮定する。そうすると、何キロ走ったら元が取れるかは、下の方程式で求められる。

 (170/12)x - (170/20)x = 2500000

 これを解くと、

 x = 441176

 要するに、約44万km乗らないと元は取れないわけだ。「ハイブリットだったら燃費もいいし、節約になるかもね。」なんて思って買い換えても余計に金を食うだけだ。新車価格が仮に半分の125万だったとしても、約22万km乗らないと元は取れない。

 また、ガソリン価格160円/㍑で、燃費10km/㍑のクルマから20km/㍑の新車価格200万円のクルマに乗り換えても、同様の計算で約25万km乗らないと元は取れない。

 要するに、それ未満の距離しか乗らないならば、現在のクルマにそのまま乗り続けた方がずっと安上がりだし、エコである可能性すらある。

 あと、掲示板のスレッドにこんな書き込みがあった。プリウスとフィットを比較して、どれだけ走ったらトータルコストが逆転するかのいい目安である。

226万円のプリウスの燃費平均は21km/L
120万円のフィットの燃費平均は16km/L
車両の差額106万円

10万キロ走ると、消費するガソリンとガソリン代(160円/Lで計算)は
プリウス 4762L 76万2000円
フィット 6250L 100万円

10万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+76万2000円 = 302万円
フィット120万円+100万円 = 220万円

15万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+114万3000円 = 340万円
フィット120万円+150万円 = 270万円

20万キロ走った時点での支払い総額は
プリウス226万円+152万4000円 = 378万円
フィット120万円+200万円 = 320万円

プリウスは、燃費が良くても回生システム分(100万円)のモトは取れません。

 なるほどね。プリウスで元を取ろうと思ったらそれこそ30万km以上走らないといけないようだ。しかも10万km持たずに超高価な専用バッテリーを交換しなければいけないそうで、フィットと比べたら永久にコストパフォーマンスは逆転しないかもしれない。

 消費者にとって、不要不急のエコ替えなんて「エコロジーでもエコノミーでもない」ことは肝に銘じるべきだ。

 「本当のエコロジーかつエコノミーなエコ替え」は、クルマを手放して自転車に乗ること、100歩譲ってスーパーカブに乗ることだろう。

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「エコ替え」は甚だしい偽善エコ!

 色んなところでエコエコと騒いでいるが、武田邦彦氏が『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』などの著書で、様々なニセモノの環境対策を暴露したように、世間には金儲けのため消費者心理を突いてエコをでっち上げていることも随分ある。無意味に関わらず観念的に環境にやさしいと思い込んで無駄な努力をしていることも多々あるだろう。レジ袋の削減やペットボトルのリサイクルや、マイ箸運動などが代表的なものであるが、ここでそれについて解説する気はないので、詳しくは武田氏の著書をお読みください。

※追記
武田氏の著作は、3冊ほど読んだが、感想としては正直かなり怪しい部分がある。ペットボトルのリサイクルなどはともかく、温暖化が進行しても大丈夫とか海面は上昇しないとかの部分は、実は何度読んでも納得いかない。特に、京都議定書の件などはかなり恣意的に思われる。今度、著作をじっくり読んで、間違いと思われる部分をブログで紹介するつもりだ。

 そんな中、トヨタがおかしなCMを流し始めた。まだ乗れるけどもっと低燃費な自動車に買い換えようという趣旨の内容だ。

エコ替

 正直、このCMには呆れるばかりだ。というか不愉快にすらなる。トヨタなる一流企業がこんな低レベルなCM流しているなんて・・・。

 一体どこの誰が、「そうだね。まだ使えるけどね。早速エコなクルマに買い換えましょうね。」ってなるだろうか?もし、そんな人がいれば知りたいくらいだ。

 買い換えた新車がいくら燃費が改善されたからと言っても、自動車の製造時に発生する環境負荷を考えなければ本当にエコロジーかどうかは分からない。「新車製造により追加的な環境負荷が発生するが、燃費の改善によって○○km以上走行したら結果的にエコロジーになる。」ことをはっきりさせない以上、こんなCMは企業の社会的責任(CSR)に反していると思う。

 もし、ある時点で車を買い換えるかそうでないかで考えよう。分かりやすくグラフでモデル化してみる。新型車を購入した時点で一定の環境負荷が生じる。だから、購入時点では旧型車の方がエコである。しかし、乗り続けるとすると旧型車は燃費が悪いので傾きが大きいので、ある時点で累積環境負荷が逆転する。その交点の年数使用して初めて新型車が晴れて環境にとってより負荷が少なくなるのである。

Photo

 もし旧型車であっても、あまり乗らなければグラフの傾きは小さくなる、そうなると交点のx軸座標も大きくなるか、永遠に交わらない場合も考えれる。そうならば、旧型車もエコである。

 さらに言おう。低燃費の新型車だからと言って余計に乗るようになれば、今度は新型車の傾きが大きくなって、かえって環境に負荷を与える可能性も考えられる。ヘルシーな料理だからといって、多めに食べて結局太ってしまうことと同じだ。

 グラフの交点が何年目にあたるか分からないが、だからと言ってまだ使える車を無理やり買い替えさせようとするトヨタのやることは所詮偽善エコでしかない。

 あ、そうか。エコロジーのエコでなく「エコノミー」のエコか。それなら納得だ。早く買い替えてもらったほうが儲かるからね。

 ただね、現場の低燃費化を推し進めてきた努力は素晴らしい。それは、しっかりと褒めるに値すると思っている。だからと言って、それを免罪符にしてさらなる消費を煽ろうとするのはどうかしているとしか思えない。

[参考サイトなど]

TOYOTA 「エコ替え」 (公式サイト)

エコ替え (学生自動車評論家)

「エコ替え」に誰もつっこまない件 (ネコの目Blog)

乗り換える事がエコなのか?「トヨタのエコ替え」 (ライカで撮る日常)

「エコ替え?」 (今日もクルマ観?日和)

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ホームタウン急行

ホームタウン急行

 歌、映像ともなかなかいいですね~。すごくよく出来てます。

 スイッチバックの坪尻駅を発車するキハ65+キハ58の編成も出てきます。

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